夏だ!ビーチだ!海水浴臨だ! 2

今回は関東、信越、東北南部の海水浴臨を追ってみます。

関東の夏といえば「房総夏ダイヤ」が定番で、時刻表でも巻頭に特集ページを設けていました。
まだ海水浴列車へのニーズが大きかった頃は、シーズン中の内房線と外房線のダイヤを引き直して夏ダイヤを運用し、影響を受ける総武本線の快速列車もダイヤ変更されました。この年は7月15日〜8月20日、学校の夏休みより1週間ほど前倒しなスケジュールで夏ダイヤが施行されています。

ちなみに、総武線と横須賀線の直通運転が始まるのはこの約2年後、1980年10月改正です。

さて、内房線の通常ダイヤ(左)と夏ダイヤです。
夏ダイヤでは日曜に東京-館山間臨時快速「青い海」が運転されています。「青い海」は2往復で、ネット上の情報によると定期列車と同じスカ色113系(編成によっては非冷房!)だったようです。
そのほかは、下り特急「さざなみ2」が毎日運転となっていたり下り急行「内房1」が富浦駅に停車したり上り急行「内房1」の終着駅が新宿から両国に変更されていたりという細かい変化はありますが、全体的に運転時刻が大きく変わるようなこともなく、これは次ページ以降もほぼ同じです。

なお、通常ダイヤの「休日運休」が夏ダイヤでは「日曜運休」となっていますが、当時の8月には祝日がなかったので意味は同じですね。上りの夏ダイヤで日曜運休が通常ダイヤより増えているのは、「青い海」用の編成を捻出するためだったのでしょうか。

続いて外房線の通常ダイヤ(左)と夏ダイヤ。
東京発安房鴨川行臨時快速「白い砂」3往復の運転、臨時特急「わかしお」の毎日運転化と急行「外房」の鵜原駅停車などが通常ダイヤと違うだけで、こちらも両ダイヤ間に劇的な変化はありません。
ただ、内房線のような夏ダイヤの日曜運休列車がなく、3往復の「白い砂」の合間に千葉発勝浦行の臨時快速も走らせているぐらいなので、外房線の方が車両運用に余裕があったのでしょうか・・・内房線・外房線とも車両運用は共通のはずなのでちょっと不思議な気がします。

房総夏ダイヤは戦前からの歴史があり、激しくなる一方の海水浴旅客需要をさばくため全国から車両がかき集められ、一本の列車の車両所属がバラバラということもよくあったそうです。それでも足りず、各地に配属予定の新車を夏ダイヤ前に早期落成させて房総で使ったり、普通列車用のキハ17やキハ35なんかを組み込んだ急行列車(いわゆる遜色急行)を走らせるなど、今から見れば独特あるいは異質な車両運用がなされていました。
このあたりの事情に関してはネットで検索すれば大量に記事が上がってくることからしても、房総夏ダイヤは単なる臨時ダイヤを超えた、一種の社会現象と言えるかも知れません。

お次は常磐線にまいりましょう。
郡山駅から磐越東線を経由して久ノ浜駅へ臨時普通列車「ちどり」が走っています。
「ちどり」は木次線・芸備線経由の山陰山陽連絡急行の名でもあるわけですが、地域的に全く違うのと指定席の設定がないので混同の心配はないということでしょう。四ツ倉駅(四倉海水浴場)、久ノ浜駅(久之浜海水浴場)に駅近海水浴場があります。
上野発勝田行急行「あじがうら」は、茨城交通(現・ひたちなか海浜鉄道)湊線の終点・阿字ヶ浦駅に近い阿字ヶ浦海水浴場への誘客列車です。この列車は1970年夏に上野-阿字ヶ浦間の直通急行として登場、少なくとも1985年夏までは運行されていましたが、この時刻表当時の1978年だけなぜか直通運転がされず、勝田駅での乗り換えを要していました。

「あじがうら」の右隣には大宮発常陸多賀行「かわらご」の姿があります。「かわらご」とは常陸多賀駅から約2kmのところにある河原子海水浴場のことですが、当時は日立電鉄(2005年3月廃止)の河原子駅がずっと海水浴場に近くて便利でした。そのせいか「かわらご」は国鉄と日立電鉄の乗り換え駅である大甕駅を通過しています。
その「かわらご」の水戸線ダイヤを見てみると、

「貨物線を通過するため」小山駅を通らないことになっています。
「鉄道ピクトリアル」No.1021(2024年2月号)の記事「石炭輸送列車が通った東北-水戸短絡線」(高橋政士)によると、この貨物線は常磐炭田からの運炭列車などを大宮方面へ通すために敷設されましたが1986年に使用停止、現在は道路配置などにわずかな痕跡をとどめるのみとなっているようで、Google空中写真でその線形をかろうじて辿ることができます。
他に、東北線・水戸線経由の上野・勝田間急行「つくばね」もこの貨物線を経由していました。小山-小田林間の交直デッドセクションすぐ近くに貨物線の分岐があったため、運転にも気を遣ったのではないかと思います。なお、水戸線の小山駅場内信号機は、今でも貨物線分岐点跡を挟んで第1場内と第2場内の2基が建植されています。

続いては上越線・信越本線経由の超鉄板な海水浴臨「くじらなみ」です。
北関東の内陸部から日本海沿岸に向けて走る歴史ある列車で、列車名となった鯨波駅から柿崎駅にかけて駅ごとに海水浴場があります。

1968年に高崎-笠島間で運転開始した後はほぼ毎年発駅・着駅が入れ替わり、着駅だけでも笠島、米山、柿崎、潟町、犀潟、直江津といったバリエーションがありました。旅客の流動というより帰りの出発まで編成を留置する駅の都合と思われ、この時刻表時点でも1号が高崎発柿崎行、2号が熊谷発米山行と微妙に運転区間が異なっています。
この時に使用されていた車両は上越・信越線方面の急行用165系で、快速列車に普通車・グリーン車指定席を設定するのは当時としてはきわめて異例でした。指定席マークが四角で囲まれているのは指定券を主な停車駅でのみ発売することを示しており、そういう意味では地域密着型の列車でもあったようです。
2010年夏の熊谷-柿崎間臨時快速「マリンブルーくじらなみ」を最後に「くじらなみ」の系譜は途絶えたままとなっています。

次はちょっと飛んで石巻線・気仙沼線へ。ご承知のとおり現在の気仙沼線柳津-気仙沼間はBRTとして運行されています。
海水浴に特化した列車ではないかもですが毎夏の恒例列車「南三陸シーサイド号」。仙台から東北線・石巻線・気仙沼線経由の気仙沼行臨時普通列車で、後年は特別快速に昇進したりもしましたが1990年代に廃止されたようです。
本吉-気仙沼間には海水浴臨「おおや」が3往復。その名のとおり大谷駅(現・気仙沼線BRT大谷海岸駅)近くの大谷海水浴場へのアクセスとして運転されていたもので、大船渡線(気仙沼-盛間はBRT化)一ノ関、大船渡方面からの入り込みをも念頭に置いた列車と思われます。

三陸方面をさらに北へ上っていきましょう。リアス式海岸ゆえに駅近の海水浴場が少なくなるせいか、純粋な海水浴臨というより夏の臨時列車が多くなる印象です。

仙台発盛行急行「むろね」に一ノ関駅で併結された盛岡発の夏臨「けせん」が盛線(現・三陸鉄道南リアス線の一部)吉浜駅まで足を伸ばします。
釜石線・山田線では宮古-盛岡間臨時急行「いそかぜ」、そして本来なら盛岡発の秋田行急行「たざわ2」が宮古駅からの延長運転となっています。この「たざわ2」は定期急行「よねしろ2」と併結で宮古駅を出発し、盛岡で分割ののち「たざわ2」は田沢湖線経由、「よねしろ2」は好摩駅から花輪線経由でそれぞれ秋田駅を目指すのですが、山田線内から乗る人は注意しないととんでもないところへ連れて行かれる可能性があります(汗

また、臨時列車ではありませんが盛岡発釜石線・山田線経由盛岡行の循環急行「五葉」が存在感を放っています。この逆回り列車は「そとやま」と名称が変わって盛岡855発の1447着、釜石線内の宮守駅で「五葉」と「そとやま」の交換が見られました。これらも盛岡行というだけで飛び乗ってしまうと場合によってはえらい目に遭う列車です。

今回の最後は海水浴臨ではありませんが、いかにも夏らしい臨時列車「尾瀬フラワー号」。
思わず「🎵おぜ〜ふら〜わ〜」と節をつけて唄いたくなる斬新な列車名が、よんかくが子どもの頃から妙に気になっていたのです。
ただこの「尾瀬フラワー号」、その優美な名称とは裏腹になかなかエグいダイヤで、ごく一部にコアな支持層を持つ迷列車でもありました。どんな支持層や。

往路は仙台発会津線(現・会津鉄道)会津田島行の夜行快速列車で、234.8キロに8時間25分、表定速度約28km/hというどんだけ鈍足な快速列車やねんと思いますが、実は会津若松駅で112着・415発と3時間以上のドカ停をやっています。もちろん早く着き過ぎないための時間調整ではあるんですが、歴代長時間停車ランキングのトップ3に入ることは確実でしょう。ちなみにこのドカ停がなければ表定速度は43km/h程度に跳ね上がります。それでも43km/hか

そして復路は復路で、会津若松駅から仙台行定期急行「あがの2」に併結され、急行列車として仙台駅まで戻ります。往路は料金不要の快速なのに復路は急行というのは解せない気もしないでもないですが、少しでも速く帰宅したいというニーズは多いでしょうから納得はできます。
ところがこの「尾瀬フラワー号」、またやらかしてくれるのです。

「あがの2」と仲良く併結で仙台駅まで帰ってくるのかと思いキヤ、福島駅で繋いだ手をいきなり振り解き、普通列車となる「あがの2」を見捨てて急行のまま単独で仙台へ突っ走ってしまう「尾瀬フラワー号」。どこかほろ苦い人間模様を見ているかのようです。
速く仙台に到着するメリットは当然あるのですが、「あがの2」に乗るはずが「尾瀬フラワー号」の方に誤乗するリスクも当然あるわけなので、同じ目的地へ向かうはずの併結相手と途中で袂を分つという点でもかなりクセ強な列車であることは間違いありません。
なお、1980年代前半まで走っていたと思われる「尾瀬フラワー号」、後年は仙台発東北線・高崎線・上越線経由沼田行の快速列車として生まれ変わるのですが、いつしかひっそりと運転を取りやめました。

夏が来れば思い出す「尾瀬フラワー号」のひとこまでした。海水浴臨はどこへ行った?

(次回が最終回となりますのでこれに懲りずにご覧くださいませ)