<九 州> 北海道 東北 関東・甲信 中部 近畿 中国 四国 通票の現存する線区 種別一覧トップ
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日豊本線
城野−柳ケ浦〈1960〉
宮崎−鹿児島〈1965〉
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城野●葛原(信)▲下曽根◎朽網▲苅田◎小波瀬−A−行橋■新田原●築城■椎田●豊前松江■宇島▲中津●東中津■今津▲豊前善光寺●柳ヶ浦
宮崎▲南宮崎●清武■日向沓掛▲田野●門石(信)■青井岳▲楠ヶ丘(信)●山之口■三股▲都城◎西都城●五十市■財部▲北俣●大隅大川原■北永野田▲霧島神宮●国分◎隼人▲加治木●帖佐◎重富▲竜ヶ水■鹿児島
→ 糸崎車掌区車掌長様から情報を頂きました。 |
| 柳ケ浦ー宮崎間は連査閉塞だったようです。小波瀬ー行橋間は当時から複線。おおむね●■▲の順で続いていますが、都城ー西都城、国分ー隼人が第4種なのは他線からの乗り入れがあった関係かも知れません。 |
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| 吉都線 都城−吉松〈1965〉 |
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都城●谷頭■高崎新田▲高原●小林■西小林◎飯野▲加久藤(現・えびの)●京町(現・京町温泉)■吉松 (併合閉塞…都城★高崎新田)
→ 糸崎車掌区車掌長様から情報を頂きました。 |
| 特急「おおよど」、急行「えびの」が思い出されます。この規模の路線としては割合早くに自動閉塞化されました。 |
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| 山野線 水俣−栗野〈1987.3.23〉 |
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| 水俣●久木野◎薩摩大口▲菱刈●栗野 |
| 途中に小さなループ線がありましたが、眺めがよくないせいもあってループの実感がほとんどありませんでした。 |
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| 指宿枕崎線 山川−枕崎〈1987.3.22〉 |
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| 山川■西頴娃●枕崎 |
| この区間の自動化を最後に、JR九州から非自動閉塞が消滅しました。毎土曜日、棒線駅の頴娃大川での折り返しがありましたね。 |
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| 湯前線 人吉−湯前〈1990.3.5〉 |
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| 人吉■免田●湯前 |
| 現・くま川鉄道。初乗りした1980年代前半には確か多良木での交換もあったような気がするのですが…。妻線杉安−国鉄バス(村所のりかえ)−湯前 という乗り継ぎも、遠い記憶のかなたに霞んでしまいました。 |
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| 佐賀線 佐賀−瀬高〈1987.3.21〉 |
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| 佐賀▲諸富●筑後大川◎筑後柳河▲瀬高 |
| 諸富−筑後若津間に筑後川の昇開橋を扱う筑後川(信)がありました。この橋は現在も歩道橋として健在だそうです(柳川市の坂井貴司様から情報を頂きました)。 |
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| 筑肥線 伊万里−山本〈1987.3.24〉 |
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| 伊万里■大川野◎山本 |
| 唐津以東の電化と同時に線形が変わりましたが、当時の筑肥線は、唐津線とねじれあっていたり東唐津でスイッチバックしたりと、面白い路線でした。 |
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| 田川線 行橋−田川伊田〈1990.2.28〉 |
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| 行橋▲豊津●犀川■油須原◎勾金●田川伊田 |
| 現・平成筑豊鉄道田川線。このころ油須原−勾金間の内田(信)は廃止されていましたが、移管後に内田駅として復活。かつては石炭・石灰石輸送の貨物が設定されていました。 |
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| 久大本線 久留米−日田〈1980.10改正〉 |
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| 久留米◎南久留米▲御井●善導寺■田主丸◎筑後吉井▲筑後千足■夜明▲光岡◎日田 → 脚長ヲジサン様から情報を頂きました。 |
| 筑後千足=現・うきは。第4種楕円が3区間に使われています。 |
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| 高千穂線 延岡−高千穂〈1987.3.21〉 |
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| 延岡■川水流●日ノ影▲高千穂 |
| 現・高千穂鉄道。三セク移管後もしばらくタブレット閉塞でしたが、日向岡元・槙峰の交換設備新設とともに自動化されました。 |
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| 日南線 南宮崎−志布志〈1987.3.18〉 |
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| 南宮崎◎木花▲青島■伊比井▲北郷●飫肥■油津●大堂津▲榎原■日向大束●福島今町◎志布志 |
| 訪問時には既に優等列車はなくなっていましたが、各駅の場内信号機(もちろん腕木式)には通過信号機が併設されたままでした。ただし通過信号機の信号てこには「使用禁止」の札が掛けられていました。 |
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| 志布志線 西都城−志布志〈1987.3.18〉 |
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| 西都城■末吉▲岩川◎伊崎田■志布志 |
| ふらりと乗りに訪れたつもりだったのですが、この9日後の3月27日に廃止になることを現地で初めて知りました。志布志と言えばかつては3本の鉄道が集まる要衝だったのですが、寂しくなって久しいですね。 |
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| 大隅線 志布志−古江〈年月不詳〉 |
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| 志布志●大隅大崎■大隅高山●吾平■鹿屋▲古江 |
| 1980年代初めに乗ったきりで過去帳入りしてしまいました。通票種別は、のちに訪れた末吉町の鉄道資料館内に展示してあった志布志・大隅線ダイヤグラムを参考にさせていただいています。古江−国分間は開通当初から自動閉塞でした。 |
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| 後藤寺線 新飯塚−田川後藤寺〈1990.3.7〉 |
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| 新飯塚◎下鴨生■田川後藤寺 → 直方車掌区様から新飯塚◎下鴨生の情報を頂きました。 |
| 筑豊炭坑線群のなかで、エアポケットのようにここだけ通票が残っていました。自動閉塞化の進展もさることながら、線区自体の廃止によって通票は活躍の場を狭められていったのです。下鴨生からは漆生線(廃線)が分岐。 |
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| 上山田線 飯塚−豊前川崎〈1987.3.19〉 |
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| 飯塚◎臼井■大隈▲嘉穂(信)■上山田▲豊前川崎 |
| 嘉穂(信)は漆生線との合流点で、Y字型の配線でした。通票扱いのある信号場って、これが最後ではないでしょうか。 |
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