<中
国> 北
海道 東北 関
東・甲信越 中部 近
畿 四国 九
州 通票の現存する線区 種
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路線・区間名横に※印を付した線区の1965年時点のデ−タ
は、まゆつば鉄道様から頂きました。
(国鉄関西支社「運転取扱基準規程・昭和40年」による)
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山
陰本線 米子−長門市〈1965〉 ※
京
都−伯耆大山はこちら |
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米
子
(連査)出雲市▲知井宮●江南■小田▲田儀●波根■久手▲石見大田●静間■五十猛▲仁万●馬路■温泉津▲石見福光●黒松■浅利▲石見江津●都野津■波子▲下府●浜田■西浜
田▲周布◎折居●三保三隅■岡見▲鎌手●石見津田◎石見益田■戸田小浜●飯浦■江崎▲須佐◎宇田郷●木与■奈古▲長門大
井●東萩■萩▲三見●長門三隅■長門市
(併
合閉そく…出雲市●石見大田■石見江津▲浜田/西浜田●石見益田/須佐●東萩) |
知
井宮=現・西出雲、石見大田=現・大田市、石見江津=現・江津、石見益田=現・益田 です。
出雲市以西は1970年代後半までタブレット閉そくが残っていました。種別順序は概ね●■▲…の順ですが、周布と須佐は
一時期終着駅だったことがあるのでその関係で◎絡みなのか、石見津田◎石見益田は山口線方の通票種別との兼ね合いでしょ
うか。
1976/8〜10に出雲市−浜田間
と長門市−幡生間と仙崎支線が、
1979/2に浜田−長門市間が自動
閉そく式(特殊)化。 |
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倉
吉線 上井−山守 ※ |
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上井◎倉吉■西倉吉▲関金
●山守 |
上井=現・倉吉。当時の倉
吉駅は市の中心に近かったのですが、1972年に倉吉の名を上井駅に譲って打吹(うつぶき)駅と改称しました。
1985/4/1廃止。 |
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因
美線 鳥取−東津山 |
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〈1965※〉
鳥取●津ノ井■郡家●用瀬▲因幡社■智頭●那岐▲美作河井■美作加茂●高野▲東津山
〈1988.7.22〉鳥取●津ノ井■郡家●用瀬▲智頭●那岐▲美作河井■美作加茂●高野▲東津山
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御存じ、JR最後のタブ
レット通過授受を急行砂丘が演じていました。郡家駅構内の腕木式信号機の林立ぶりは見事でしたね。全線自動閉そくとなっ
た現在、智頭以北は智頭急行の恩恵で結構な繁盛ぶりですが、以南はなんとも惨めなダイヤに…。
1994/3/1鳥取−智頭間が、
1999/12智頭−
東津山間が特殊自動閉そく化。 |
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若
桜線 郡家−若桜 ※ |
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郡家▲八東■若桜 |
現・若桜鉄道。三セク転換
時には全線1閉そくに統合されていました。因美線が自動化された後もしばらく票券閉そくのままで、腕木式信号機も残って
いました。2003/10特殊自動閉そく化。2020/3に八東駅の交換設備が復活。 |
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津
山線 鳥取−東津山〈1988.7.22〉 |
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岡山●法界院▲玉柏●野々
口■金川▲建部■福渡◎神目●弓削■亀甲▲津山口◎津山(併
合閉そく…岡山■福渡▼津山) |
岡山−鳥取間急行「砂丘」
が通過授受をやっていました。1982/8/31特殊自動閉そく化し、のちに神目と津山口の交換設備はなくなりました。 |
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伯
備線 倉敷−伯耆大山〈1965〉 ※ |
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倉敷●清音■総社▲豪渓●
美袋■ 備中広瀬▲備中高梁●木野山■備中川面▲方谷●井倉■石蟹▲新見●
布原(信)◎備中神代■足立▲上石見●生山■上菅▲黒坂●根雨■江尾▲伯耆溝口●岸本◎伯耆大山 |
布
原(信)は現在の布原駅です。1971/2に上石見−
伯耆大山間が、その他の単線区間は1972/3改正時に単線自動閉そく化。このとき伯備線から蒸機と
通票が同時に姿を消しました。広
石信号場(方谷−井倉間)、下
石見信号場(上石見−生山間)及び上
溝口信号場(江尾−伯耆溝口間)は自動化後の開業です。 |
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吉
備線 岡山−総社〈1965〉 ※ |
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岡山◎大安寺●備前一宮▲
吉備津■備中高松●東総社◎総社 |
自動閉そく(特殊)式は全
国的にもかなり早い1968/9
/30の導入でした。地方交通線の優等生的存在で、LRT化構想もあります。 |
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境
線 米子−境港 |
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〈1965〉
米子◎後藤▲弓ヶ浜■大篠津●境港
〈1988.7.26〉後藤▲弓ヶ浜■大篠津●境港
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米子−
後藤間は車両所への出入庫のため1982年ごろに電化とともに特殊自動閉そく化されたようです。列車
本数の急激な増加によりタブレット閉そくでは対応できなくなり自動化された典型例でしょうか。1988年当時、弓ヶ浜で
の列車交換はありませんでした。貨物も若干走ってましたね。大篠津の腕木式信号機は空港に隣接するため背の低いものが使
われていました。 |
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大
社線 出雲市−大社〈1985?〉 |
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出雲市●大社 →
中村大樹様から情報をいただきました |
大阪から急行「だいせ
ん」、名古屋から急行「大社」が乗り入れていました(いずれも線内は普通列車)。
「だいせん」はAネ・Bネ・ロザ・ハザ連結の典型的夜行列車で、「大社」は名古屋から米原・敦賀・小浜線・宮津線・山陰
線経由という、痒い所に手が届くというかマニアックな経路を辿っていました。
社
殿造りの大社駅舎があまりにも有名。ただ、一畑電車の出雲大社前駅と比べると不利な立地でした。1990/4
/1廃止。
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木
次線 宍道−備後落合 |
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〈1965※〉宍
道◎加茂中●出雲大東■木次●下久野■出雲八代▲出雲三成●亀嵩■出雲横田▲八川●出雲坂根■油木▲備後落合(併
合閉そく…宍道●木次▼出雲坂根)
〈1984.12〉宍道◎加茂中●出雲大
東■木次●下久野■出雲三成▲出雲横田●出雲坂根■油木▲備後落合
→ 中村大樹様から情報をいただきました
〈1988.7.21〉宍道◎加茂中●木
次■出雲三成▲出雲横田●出雲坂根▲備後落合(併
合閉そく…木次◎出雲横田)
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大昔スキ−臨の乗り入れて
いたころは、油木でも冬季のみ臨時に閉そく扱いをしていました。
特殊自動閉そく化は1997/3の出雲坂根−備後落合間を皮切りに、宍道−加茂中間が2000/5、加茂中−出雲坂根間
が2001/7に実施。これによりJR西日本からタブレット閉そくが消滅しました。2001/10/1に全線CTC化。 |
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福
塩線 福山−塩町(1972) |
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福山●備後本庄■神辺▲万
能倉●戸手■新市▲府中●下川辺■河佐▲備後矢野●上下■備後安田▲吉舎◎塩町 →
糸崎車掌区車掌長様から情報をいただきました |
非自動時代は70系などの
旧国も頑張っていました。下川辺は棒線駅ですが、ここで折り返す列車が設定されていたので閉そく扱いをしていたそうで
す。現在備後本庄は、横尾の交換駅化に伴って棒線駅となっています。
1982/9に自動閉そく(特殊)化されましたが、八
田原ダム建設に伴う経路変更区間を含
む河佐−備後矢野間のみ1989/4
/20に特殊自動閉そくに変更となっています。 |
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芸
備線 矢賀−矢神 |
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〈1965〉三
次◎神杉▲塩町■下
和知▲山
ノ内●備
後庄原■高
▲備後西城●比
婆山■
備後落合◎道
後山●
小奴可▲備後八幡■東城●野
馳▲矢
神■坂
根●備
中神代(併
合閉そく…三次▼備
後庄原■備
後西城●備
後落合)
〈1972/
三次−矢神間は1978.10改正〉矢賀■安芸矢口●下深川▲狩留家■中三田●志和口■向原▲吉田
口●甲立▲志和地■西三次▲三次◎神杉▲塩町■備後庄原●高▲備後西城■備後落合●小奴可▲備後八
幡■東城●矢神(併
合閉そく…三次■備後庄原▼備後西城)
→ 糸崎車掌区車掌長様から
情報をいただきました
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1972年当時の広島−矢
賀間は連動閉そく、矢神−備中神代間は自動閉そく(特殊)でした。芸備線全線で無煙化が完了しており、キハ10系や20
系、55系、DE10などが活躍していました。急行「ちどり」「やまのゆ」「たいしゃく」などが通過授受していました。
1983/3/1に広島−三次間が、
1983/10/31に三次−
矢神間が特殊自動閉そく化。 |
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可
部線 横
川−加計〈1986.3.17〉/加計−三段峡〈1997.3.23〉 |
横川−可部…タブレット
可部−加計…票券
加計−三段峡…スタフ
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横川●三滝▲安芸長束◎下
祇園■古市橋▲梅林◎可部■安芸飯室●水内▼加計 / 加
計●三段峡 |
可部までの電車区間でタブ
レット閉そくをやっていたなんて、今からではとても信じられません。1989/3/11に横川−
安芸長束間が、1991/3/16に安
芸長束−
可部間が、
1992/3/14に可部−
加計間が特
殊自動閉そく化。
加計−三段峡間は1969/7/27に自動閉そく(特殊)で開業しましたが、区
間の閑散化によって交換駅だった戸河内・筒賀での列車交換がなくなり、可
部−
加計間の特殊自動閉そく化と同時にス
タフ閉そく式となりました。可部以北は2003/11/30、惜しまれつつ廃線に。 |
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岩
日線 北河内−錦町〈1985.8.2〉 |
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北河内■河山●錦町 |
現・錦川鉄道。古くから自
動閉そく式だった岩徳線との分岐点・森ヶ
原信号場−北
河内間は連動閉そく式でした。1983年の岩徳線のCTC化とともに同区間は単線自動閉そく化。北河内以北は
1991/3に特殊自動閉そく化されています。 |
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山
口線 小郡−益田〈1982〉 |
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小郡◎大歳■山口●宮野■
仁保●篠目■三谷●地福■徳佐▲津和野●日原◎青原■石見横田▲益田 |
小郡=現・新山口。特急
「おき」はもちろん「SLやまぐち号」も通過授受をやっていました。1984/2/1特殊自動閉そく化。
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宇
部線 宇部新川−小郡〈1975.3.10〉 |
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宇部新川■東新川●宇部岬
▲床波●岐波▲阿知須■深溝●小郡 → 鉄道ピクトリア
ルNo.937(2017.10) |
小郡=現・新山口。宇部−
宇部新川間は貨物列車が頻発していた当時、早々に自動閉そくとなったようです。タブレット閉そく区間は1983/3
/8自動閉そく(特殊)に。
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水
島臨海鉄道 妹
尾駅員様から情報をいただきました |
倉敷市−水島…タブレット
水島−川鉄前…票券
その他…スタフ
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〈1970.10〉水
島本線:倉敷市■西富井▲弥生−水島■
西埠頭(弥生−水島…旅客線:弥生◎
水島/貨物線:弥生●栄町仕訳所(入換扱い)水島) 港東線:水島●東
水島 / 川鉄線:水島▲川鉄前
〈2005.2〉港
東線:水島●東水島 / 西埠頭線:三菱自工前■西埠頭 |
1970
年当時、弥生−水島間は旅客線と貨物線の単線並列で、双方異なる種別のタブレットを使用していました。旧・川鉄線は現在
も水島本線水島−三菱自工前−倉敷貨物ターミナル間として残っています。川鉄線は1983/4/1、西埠頭線は2016
/7/15廃止。 |
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岡
山臨港鉄道
大元−岡
山港〈1982.11.15〉 |
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大
元●岡南泉田▲岡山港(併
合閉そく…大元(棒状スタフ)岡山港)→
鉄道ピクトリアルNo.937(2017.10) |
岡
南泉田は旅客ホームから大元方の少し離れた場所に交換設備があり、閉そくを扱う駅本屋もこちらにありました。信号場に隣
接する無人駅のようなイメージでしょうか。併合閉そくは棒状スタフを使用していたようですが、種別は不明です。
1984/12/30廃止。 |
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同
和鉱業片上鉄道 片上−柵原 |
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〈1963.10〉片
上●清水■和気▲本和気◎天瀬●備前矢田■苦木▲備前塩田●備前福田■周匝▲美作飯岡●吉ヶ原■柵原
〈1968.10〉片
上●清水■和気▲本和気●天瀬■備前矢田▲苦木●備前塩田■周匝▲吉ヶ原●柵原
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1968
年10月改正時に2区間で閉そく区間の統合がありましたが、なぜか統合とは無関係な本和気−天瀬間が◎から●に変更され
るとともに天瀬−柵原間も種別変更を行い、片上から柵原まできれいに123123…の順序となりました。第4種楕円の廃
止と大幅な種別変更を行った理由は謎です。1972年に 自動閉そく(ARC)となりました。 |
下
津井電鉄 茶屋町−下津井 |
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〈1967
以前〉茶屋町▲天城◼️林●福田▲稗田◼️児島小川●児島▲備前赤崎◎
琴海◼️東下津井●下津井
〈1968〉茶屋町●林▲福田◼️稗田●
児島▲備前赤崎◼️東下津井●下津井
〈1969〉茶
屋町◼️福田●児島▲備前赤崎◼️下津井
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倉
敷市児島半島の南端・下津井と現在のJR宇野線(瀬戸大橋線)茶屋町駅とを結んでいた軽便鉄道。開業
当初は児
島▲琴海でしたが、1928年に備前赤崎で閉そく扱いが開始され児
島▲備前赤崎◎琴海となりました。乗客減とともに閉そく区間の
統合を繰り返し、1972年3月末に茶屋町−児島間が廃止。
その後、全線1閉そくのスタフ閉そく式となった時期を経て、瀬戸大橋開通を控えた1988年3月に琴海の交換設備復活と
自動閉そく化を実施。観光用車両「メリーベル」も導入しましたが客足は伸びず、1990年末をもってその歴史を閉じまし
た。 |
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