サボはなくなり方向幕に

3日目(7/31・日)
札幌−新十津川−滝川−旭川−北見−網走

今日の予定は割にゆったりとしている。まずは札幌955発の石狩当別行。少し寝坊をして、9時半くらいに札幌駅に着く。札沼線乗車は実に13年ぶりで、複線となった八軒ーあいの里教育大間の車窓風景が新鮮だった。ただ、非電化とはいえ複線区間の割に列車の速度が遅過ぎる気もするのだが。
札沼線は石狩当別を境に全く違う路線と言っていいくらいの変貌を遂げる。その石狩当別でキハ40単行の新十津川行に乗り継ぐ。前に乗ったときは国鉄色キハ53だったので、13年もの時の流れを感じる。石狩月形でスタフ■を受け、数少なくなった非自動閉塞区間を味わいながらのんびり走る。新十津川まで乗り通したのは私の他に7〜8人程度いて、案外多いもんだと驚いた。
新十津川では、「信号場応援団」に写真をお寄せくださっているSエアポート氏とはるか氏のお出迎えを受ける。どこかでお茶でも、ということでクルマに乗せてもらっていると、一緒に新十津川で降りた人が数名、滝川方面へ歩いているのが見えた。いかにも鉄道旅行という感じの人たちなので、徒歩で滝川駅まで行くつもりなのだろう。しかしこの暑さの中を4キロも歩くのはとても大変だ。もっとも最初は私も歩くつもりだったのだが。

道内電化の先駆者711系もまだまだ元気(滝川) バイパス沿いのファミレスで両氏と信号場談義にふける。地図を広げて新狩勝がどうのこうの、広内が何のかんのという会話がとどまることなく続く。ふだんの私の周りには鉄分の濃い話に付き合ってくれる人などいないので、こういうディープな話を遠慮なくできることがとても嬉しく、ついつい時間を忘れてしまった。
時計を見てあわてて腰を上げ、滝川駅まで送っていただく。話にお付き合い下さったうえに暑い中を歩かずに済んだので、遠いところを駆けつけてくれたお2人には感謝してもしきれないくらいだ。
滝川駅の放送が「特別急行ライラック9号は…」と案内を告げている。道内では駅や車内の放送で「特別急行」と言っているのをよく聞く。今や特急は特別な列車ではなくなってしまったが、「特別急行」という言葉は時代を超えて気品というか格の高さを感じさせる。Tシャツにジーンズ姿で乗り込むのが誠に申し訳ない気分になる。
その「ライラック9」で旭川1500着。ここから特別快速「きたみ」で石北本線かぶりつき前望に興じることとする。上川を過ぎると列車は山あいに入り、運転士氏が「動物飛び出しのため急ブレーキをかけることがある」旨の車内放送をする。そういえば10年近く前、私の乗っていた「オホーツク」がこのあたりでエゾシカと接触し緊急停車したことがあった。確かに線路は曲がりくねって脇には草木が茂り、動物が線路上にいても発見が遅れる可能性は高い。私も運転士氏同様、前方を見る眼に力がこもる。
利用者皆無のため信号場になり果ててしまった元旅客駅が中越上越奥白滝の3か所ある。信号場にもなれずに完全消滅した天幕のような駅もある。いずれも、なんでこんなところに駅があったのか理由が分からないくらいに何もない、ひっそりしたところに位置している。上越では「オホーツク6」と交換し、その時だけこの場所が僅かな賑わいを取り戻した。
カーブに差しかかるたびにひやひやする(常紋付近) 遠軽では進行方向が変わるので、かぶりつきも移動する。運転士氏も交替し、北見までの運転時刻表が差し込まれる。石北本線での私の最大の関心事は常紋信号場の現状であるが、運転時刻表を見るとちゃんと「常紋」の文字がある。一時は廃止との噂も耳にしたが、まだ何とか生き延びてはいるようだ。
生田原を出てほどなく遠方信号機が現れ、常紋信号場の現存を確信する。場内信号機は引上線側に×印が付いているものの、本線側は点灯している。常紋トンネルをくぐり、スノーシェルターをくぐって右手に引上線を見ながら下りにかかる。引上線も荒れるにまかせるというわけでもなく、出発信号も×印付きながら撤去されずに残っており、まるで近々復活するかのようにきちんと保存されている。しかし、上下場内信号しかない現在の常紋信号場の役割って一体何なのだろうか…?
長い地下トンネルに突っ込むと、北見に来たなとの実感が湧く。変な話だが、私の中で北見とあの地下トンネルはなぜか強く結びついている。ホームでは、廃止が刻一刻と近づくふるさと銀河線の単行気動車がぽつりと発車を待っていた。
唐突だが北見は「焼肉の町」である。人口あたりの焼肉店数が全国一だそうで、肉好きの私としてはどうしても知らん顔して通過できない土地だ。早速、前もってネットで調べてあった店へ行ってみることにした。
しかしなんと人通りの少ない街なんだろう。日曜日とはいえまだ19時前で、商店街の店はほとんどシャッターを下ろしているし、クルマさえたまにしか走ってこない。目星を付けていた店も、外から見ると営業しているのかどうかも分からないくらいにひっそりしている。意を決して入ってみると、もうもうと煙の立ちこめる店内で満員に近い客が焼肉をつついているのに驚く。決して人が少ないのではなく、外を歩く人がいないだけなのだ。私は北見の焼肉需要の旺盛さを垣間見た気がした。
「オホーツク」にはまだタブレット防護板が付いていた 席に着いてメニューを見るとミノ、タン、サガリ…などホルモン系が主体だ。隣の席では女子中〜高校生のグループが談笑しながら豚の軟骨や塩ホルモンなどを食べている。私も、たまに焼肉屋に行くとホルモン系ばかり注文して妻にいやがられているくらいなので、もとより望むところだ。大阪などでホルモンと言えばシマチョウ、センマイ、ギアラ、ハチノスなどとさらに細分化されているのだが、こちらでは一括してホルモンと称しているらしい…などという能書きはさておき、とにかく腹が減っているので手当たり次第に注文する。
運ばれた皿を見ると一人前の量が多い。他地域の1.5〜2倍はあるだろう。しかも涙が出るほど美味く、値段も安い。ふだん高くて不味い冷凍肉ばかり食わされているのが全く馬鹿らしくなってきた。焼肉を食べるためだけに北海道へ渡ってもよいくらいだ、と、大げさではなくそう思った。
身も心も満足して北見駅に戻る。「オホーツク5」で網走に至り、1時間半ほど待って夜行の「オホーツク10」でとんぼ返りする予定だ。網走駅前には入浴だけでも可のホテルがあり、夜行待ちの際には極めて重宝する。
サウナに入って四六のガマみたいに汗をたらたら流しながら今までの旅程を振り返る。3日目なのにいまだスッキリした晴天に恵まれていないので、撮影した写真もスッキリしない出来だし、気持ちもスッキリしない。それに先日の釧路といい網走といい、日程の制約があるとはいえ、せっかく来たのに何もしないで引き返すというのが非常にもったいない。次に北海道を訪れるのはいつのことになるか全く分からないが、もっとゆったりとした旅もしないとなぁ…としみじみ思ったことであった。
国鉄時代の遺産がここにも(キハ54車中)

4日目(8/1・月)
深川−増毛ー深川ー札幌(地下鉄乗り回り)ー函館

久々に「オホーツク10」の寝台車に乗りたい気もしていたが、翌朝は447着の深川下車なので少しもったいない。あまり深く倒れない背ずりを倒してウトウトしかけていたら、女満別でヨ(緩急車)が何両もつながって留置されているのが見えて目が覚めた。あれは一体何だったのだろうか。
35分停車の旭川で車外に出て伸びをする。深夜の駅は独特の雰囲気がある。昼間と同じ駅とは考えられないほど静まりかえり、ただディーゼルエンジンのアイドリング音だけが響いている。
深川に近づくと車掌氏が声をかけに来てくれた。前夜、車内改札の時に「寝てたら起こしてください」と頼んでいたから職務を忠実に遂行してくれたわけだが、実は旭川からは一睡もしていないのだった。
深川では早朝の街の空気を吸いにいったん外へ出た。駅前からシンボルロードのようなきれいな道が整備され、オシャレな構えの商店が多いように思える。なぜかすがすがしい気分になり、駅に戻った。
548発の
留萌本線増毛行はキハ54単行で、昨日の「きたみ」と同じ車両だ。座席は明らかに新幹線0系の流用品と分かる転換クロスだが、もと急行「礼文」にも運用されていただけあってサービスレベルは高い車両だと言えよう。この列車は留萌まで快速運転なので、小駅をすっ飛ばしながらパワフルに走る。
棒線化された石狩沼田にさしかかる。以前と変わらぬ大きな駅舎には、交換設備も信号機も失ってしまった悲哀が滲み出ている。かつては札沼線を分岐し賑わいを見せていたこの駅も、棒線化とともにこのままさびれていくしかないのだろうか。

広い構内を後にする深川行単行列車(留萌) 留萌では26分停車。かつて羽幌線を分岐していた頃にあった広大なヤードは今は荒れ地となって放置されているが、中線と長い交換延長を持つ構内には昔の面影が僅かながら残っている。
3番線に増毛からの上り列車が到着し、運転士から駅長にスタフ■が渡される。スタフはそのままわが増毛行に渡されるかと思いきや、駅長はキャリアを手に駅事務室へ入ってしまった。そして発車2分前くらいになってやっと駅長が現れ、運転士がスタフを受け取る。
相変わらずはっきりしない天気の中、列車は途中の小駅に1つずつ丁寧に停車していく。この留萌本線をはじめ道内ではヨやワムを駅待合室に転用している例があちこちで見られるが、最初は目新しさがあったものの、メンテナンスがほとんどされていないのか塗装がボロボロに剥落して錆び付いているものが多く、廃屋になりかかっているものさえ見受けられる。
増毛に到着し、ホームで写真を撮ったりしていると、リュックを背負った男性が小学校低学年くらいの息子とおぼしき男の子に「この線はタブレット使ってんだよ」などと話しかけている。「タブレットて何?」「あの運転室に掛かってる輪みたいなやつ。写真撮ってごらん」…たぶん父親は鉄道に詳しい人なんだろうが、通票という消滅寸前の鉄道システムを次世代に伝えようとしている情景に触れ、とても胸が熱くなった。私もいつかは自分の子どもに現役の通票を見せてやりたいと強く思う。
増毛で折り返して再び留萌へ。本来は下り列車用の1番線に入線する。前回ここを訪れたとき、深川から来た2連の列車を1番線に入れて切り離し、前を増毛行、後を深川行に仕立てているのを見たことがあるので、留萌の1番線は結構自由自在に使われているのだろう。
今も残るスイッチバック(仁山)
深川から「スーパーホワイトアロー」で札幌まで快走し、ほとんど未乗であった札幌市交地下鉄に乗り回ることとする。地下鉄・バス共通1日乗車券を購入し、まずは南北線さっぽろー真駒内ー麻生と乗る。麻生から東豊線栄町までバスでショートカットしようという魂胆だったが、栄町を通るバスは出た直後で、次の便まで40分待たねばならない。仕方なくそのまま折り返し、麻生ー大通ー福住と乗り、福住から東西線南郷18丁目までバスを使おうとしたが、これも出た後で、しかもこちらは1時間に1本だ。あまりのタイミングの悪さに辟易しながら、福住ー大通ー宮の沢ー新さっぽろと乗り、JRで札幌駅に戻った。結局バスは使わずじまいであった。
札幌から「S北斗16」で一路函館へ向かう。今日は2両増結でしかも指定・グリーンともに満席という盛況ぶりだ。私の席は1号車12番A、つまり先頭車両の最前列で、わざわざ窓口に頼んで取ってもらったものだ。「S北斗」の経路上には信号場は1か所しかないが、元信号場の駅はいくつかあり、それも含めてかぶりつき前望カメラに収めようと思う。何度か自席と展望室を往復したが、満席と言っていたにもかかわらず私の隣の席は函館までずっと空いたままだった。12番Cも空いたままだったので、本来12番というのは車掌手持ちの調整用の席か何かなのだろうか。
函館に着くと駅構内から駅前広場にかけてものすごい人出だ。何かと思っていたら「函館 港まつり」だという。市電も電飾ギラギラの花電車を何両も走らせて雰囲気は最高潮だが、今夜の宿にたどり着くまで人波をかき分けながら歩くのが大変だった。夜が更けると、花火大会の大音響がホテルの室内にまでとどいてきた。
ハエタタキ(吉堀付近)

5日目(8/2・火)
函館ー湯ノ岱ー函館ー関西空港

今日はいよいよ最終日、江差線を訪問して今回の旅の締めとする予定だ。言うまでもなく江差線五稜郭ー木古内間は津軽海峡ルートの一端を担っていて閉塞方式も単線自動閉塞であるが、木古内ー湯ノ岱間は特殊自動閉塞、末端部の湯ノ岱ー江差間はスタフ閉塞と、先に行くにつれてだんだん簡素な方式になっていく。今からそのスタフ閉塞の様子を見に行くのだが、湯ノ岱温泉にも入りたいので、そうすると時間の都合で湯ノ岱で折り返さないといけない。江差へは20年前に一度だけ行ったきりなので再訪したかったのだけれど、今回は我慢しよう。
乗ろうとしている江差行は704発なので、早暁6時30分にホテルを後にする。市電を横目に見ながら歩いていると、昨夜の花電車と同じく運転士氏は赤のハッピにはちまき姿で、祭の期間中は全線この格好で運転するようだ。知らない人が見たらさぞ驚くだろう。
キハ40×2連の江差行がガラガラの状態で発車する。途中駅で少しずつ乗客があり、座席がほぼ一杯になったところで木古内に到着し、どどっと降りる。再びガラガラ状態に戻った列車は、気を取り直すようにゆっくり江差に向けて走り出した。吉堀ー神明間は分水嶺のため駅間が長く、列車のスピードも落ちる。何となく外を眺めていたら、繁茂する木々の間にハエタタキ(通信用木製電柱)がちらちら見える。小振りなものは今も各地に若干残っているが、ここのは碍子が最大16個設置可能な本格派ハエタタキだ。私はハエタタキ評論家でも何でもないが、この区間に残るものが最も原形をとどめているのではないかと思う。もっとも、昔の非自動路線では碍子数30個ぐらいのすごいのを見たことがあるので、それに比べるとまだまだという感じもするのだが。

湯も浴室も真っ赤っか 湯ノ岱に着き、江差へのスタフ授受の様子を眺める。現在の北海道内の非自動閉塞区間は札沼線・留萌本線とこの江差線のそれぞれ末端部にスタフ閉塞が残るのみで、かつてのタブレット王国の面影は全く消え失せてしまった。しかもこの3線に残るスタフがいずれも第2種■であるというのも、何か意味ありげな気がしないでもない。
この列車で江差まで行きたい気持ちを振り切って下車する。湯ノ岱温泉はかなり「鉄分の濃い」温泉らしく、鉄分の濃い人間としてぜひ一度は行ってみたいと思っていた。
徒歩10分程度で「国民温泉保養センター」という仰々しい名称の建物の前に出る。見ると、営業時間は午前11時からとなっているではないか。今はまだ9時にもなっていない。江差行きを断念してまでここへ来たのにこのまま戻るのはいかにも口惜しいので、隣にある「湯ノ岱荘」という旅館を訪れ、入浴させてもらえないか聞いてみるとOKとのこと。350円を支払い、貸し切り状態の浴室でひとり手足を伸ばす。湯の色は想像していた以上に赤茶けており、有馬の金泉よりも色が濃いように思う。足で湯を攪拌すると茶褐色の沈殿物が煙のようにもうもうと湧き上がってくる。浴室の床も錆び付いたように真っ赤っかだ。湯温が若干高めなので、何度も入ったり出たりを繰り返した。
駅に戻り、待合室の旅ノートをめくる。よんかく掲示板で告知されていたみまさかみささ氏の書き込みを探し、私もレスを書き込む。ノートを最初から見ながら、湯ノ岱駅は温泉同様鉄分の濃い人間の集まる場所でもあるようだ…と思っていたら、待合室内に貼ってある温泉成分分析書によると泉質は「ナトリウム・カルシウム一塩化物・炭酸水素塩泉」であり、残念ながら鉄泉ではなかった。ただ、鉄は主成分ではないにしても相当の量を含んでいるのは間違いないと思う。
矢不来で停車したのが最後の思い出? 湯ノ岱から下り木古内行に乗車。江差から木古内に向かう列車が下りというのは違和感があるが、海峡線に合わせて列車番号は函館方面行が奇数となっている。上り・下りという呼び方は各地で地域の実情に合わなくなっているケースが多々見られる。他に良い言い方はないものだろうかと、いつも思っている。
木古内で「白鳥71」に乗り継ぐ。これが道内最後の列車だが、函館まで戻る手段としてしか考えていなかったので車窓を見る目にも力が入らない。すると、なんと矢不来信号場手前で減速し、トンネルにかかって停車したではないか。しかも私の席の真横がトンネルの出口だ。まったく予期していなかったので感激するとともに「白鳥20」との交換を自席からカメラに収める。最後の最後に思いがけないプレゼントをもらったような気がした。
飛行機の時間まですこし間があるので、市電で十字街へ行ってみることにした。
ハッピはちまき姿の市電運転士氏に観光客がカメラを向けたりしている。昼食をとって街を少しぶらついたのち、JALシティ前からリムジンバスで空港へ向かう。
飛行機を待ちながら、今回の旅を噛みしめていた。5日間ものあいだ家を離れ、家族に迷惑をかけた負い目がある。その5日間が今、終わろうとしている。スポット的に晴れ間に恵まれたことはあったものの、最初から最後まで雨と霧と曇り空に悩まされた旅だった。恨みごとを言っても仕方ないのだが、やはりギラギラと晴れていてこそ私にとっての北海道だったんだがなぁ…と、後ろ髪引かれる思いでゲートをくぐり、機中の人となった。


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駅内ぎゃらりー