信号場よもやま話

  2020/5/9 其の五 信号がなかった筑後川信号場を追加しました。

其の一 日本一有名?な信号場(2002/10/7)

其の二 列車運転ゲームに出てくる信号場(2002/10/14)

其の三 忙しい信号場と暇な信号場(2003/2/3)

其の四 プラレールの「信号所」(2018/1/1)

其の五 信号がなかった筑後川信号場(2020/5/9)

其の五 信号がなかった筑後川信号場(2020/5/9 )


 かつて長崎本線佐賀駅と鹿児島本線瀬高駅を結んでいた国鉄佐賀線。1987年(昭和62年)3月28日、わずかの差でJR佐賀線となることなく廃止されました。
 この線の筑後川橋梁は大型船舶の航行を可能とするため、橋桁中央部を上昇させることができる「昇開橋」として築造され、路線廃止後は国の重要文化財として保存・整備されています。佐賀線を知らなくても筑後川昇開橋をご存知の方は多いのではないでしょうか。


写真は一般社団法人佐賀市観光協会様から転載させていただきました。

 また、筑後川昇開橋の瀬高方にあった筑後若津駅を挟んで、跳ね上げ式可動橋の花宗川橋梁が架かっていましたが、こちらは佐賀線廃止後に撤去されました。なお、両橋梁は1935(昭和10)年の竣工です。
 
 筑後川昇開橋の昇降部横には筑後川信号場が設置されていました。信号場とはいうものの列車交換設備も分岐もなく、橋の昇降操作を専門に取扱うという他に例を見ない稀有な信号場でした。
 佐賀線はタブレット閉そくを施行していたので、信号場というからには閉そく区間の境界であり、橋の前後に信号機が建植されタブレット授受が行われるものと思っていたのですが、管理人よんかくが廃止数年前に佐賀線に乗車した際は信号機もタブレット授受もなく、列車は信号場など無きが如くに通過してしまいました。
 信号場と称していながら信号がなく閉そくも扱わず、もし列車ダイヤが乱れて橋の昇降時刻と噛み合わなくなった場合、どのように列車運行をコントロールをしていたのでしょうか? 長年、私はこの謎に苛まれ続けてきました(汗

 その謎も忘れかけていたある日、たまたまネットで見つけた佐賀線筑後川橋梁架設工事概要(鉄道省熊本建設事務所、昭和十一年三月)という資料の「信号保安設備」という項目に謎を解くカギが潜んでいました。
 その内容を要約すると、
 ◆筑後川橋梁と花宗川橋梁を合わせて1つの「筑後川信号場」と位置づけ、外方に上下それぞれの場内信号機を設置する。
 ◆両橋梁ともに、橋が上がっている状態(線路が分断されている状態)を定位とする。
 ◆閉そくに関しては、信号場を挟んで両側の閉そく取扱駅(筑後大川駅及び諸富駅)間で行うが、橋が降りている時に限って閉そく機が操作可能となるような鎖錠関係を設定する。

 上記のとおり、筑後川信号場の開設当初には場内信号機が存在していました。
 ここでは鉄道よりも船舶の方が優先される取扱いであるため、両橋梁とも普段は橋を上げた状態で、列車が来る時だけ降ろす運用としていたのですが、ここで重要なのは、橋が上がれば筑後大川駅と諸富駅の閉そく機を結ぶ通信線が切断される機構とすることで、橋が降下していないと両駅間で閉そくを実施できない(タブレットが取り出せない)という点です。
 つまり、信号場事務室が橋を降下させ場内信号を進行にする電気てこ(スイッチ)を引くと、筑後大川駅ー諸富駅間の閉そく通信回路が構成されて閉そく機の操作が可能となりタブレットが取り出せる仕組みとなっていたため、筑後川信号場自体は閉そくを取扱わないけれども両駅間の閉そくには大きく関与していたことになります。
 なお、場内信号機は腕木式でしたが、大きな信号てこを人力でガッシャンと操作するのではなく、電気的に腕木を上下させる「二位腕木式A型電気信号機」を使用していたと同資料には記載されています。

 佐賀線は最期までタブレット閉そくだったので、信号場の基本的な機構には大きな変化がないまま推移していたものと考えられます。ただ、場内信号機に関しては、この区間のタブレットが取り出されていれば橋が降下していて通行可能という明確な鎖錠関係がある以上、橋梁の前後に信号機を設置しておく意義は極めて薄いため、合理化の一環としてある時点をもって撤去されたのでしょう。
 
 列車交換設備もなくタブレット扱いもなく信号機もなくなったものの、筑後大川駅ー諸富駅間の閉そくの要でありつづけたという点で、筑後川信号場は名実ともに立派な信号場でした。しかも、昇降する巨大な橋桁が閉そく通信回路の一部を担うという、これほどダイナミックな信号場が他にあるだろうかとも思ってしまいます。

其の四 プラレールの「信号所」(2018/1/1)


 今も昔も子どもから大人(!)まで、人々の「鉄い心」を捉え続けるタカラトミーのプラレールシリーズ。幼い我が子を「鉄」に導くための仕掛けであるとともに、想像力を駆使して路線イメージを構築し組み立てるという知育玩具としての側面にも世間の注目が集まっているところです。

 そのプラレールには、ユーザーの想像力をかき立てるための様々なアイテムが用意されているわけですが、実は下の写真のような物件もかなり古くから販売されていました。


もちろん管理人よんかくも持っております(笑)
(写真はメーカーサイトから)

 対象年齢3歳以上とのこと、かくも小さな子どもにも信号所(場)という用語を刷り込ませようとするあたり、生半可な鉄分のなせる業とは到底思えません。では、このプラレール信号所、いかなる機能を持っているのでしょうか。

 信号場小屋は2階建てで広内信号場鴨ノ庄信号場を思わせるイメージ。その横に小屋よりでかい信号機が建植されています。
 信号機は色灯式ですが黄色い腕木が附属しており、視認性の向上に寄与しています。て、ほんまかいな


 
 小屋1階部分に信号てこがあり、これを「STOP」にすれば信号は赤を現示するとともに小屋前の レールの間にある黄色い車止めが持ち上がり、そこへ列車が乗り上げて停止します。そして信号てこを「GO」にすれば車止めが沈下し発車。大昔の操車場にあったカーリターダ的な発想ですね。
 なお、屋根に煙突みたいに突き出ている青い押しボタンを押すと、か弱い音で「ピ」と鳴るようになっています。が、信号所としてこれが一体どういう意味を持つのかは全く理解いたしかねます。




左・定位(赤)と右・反位(青) 腕木の動きがかなり微妙。黄色の車止めに注意。

 実はこのてこ扱い動画を撮影するときに大事故を発生させてしまいました。信号機破壊事故
 
 さて、閉塞境界型の単純な棒線信号場にもかかわらず、ここではなぜか職員が多数勤務しています。



レゴフィグ風味な職員が忙しく働いています。「安全第一」は子どもにも安全衛生管理意識を植え付ける効果あり!?
  
 昔の信号場小屋のように何十本という信号てこがズラーっと並んでいるわけではなく、モニタなどを備えた最新鋭の機器が配備されているように見受けられるので、当然自動閉塞やCTCを導入している線区でしょう。しかし、合理化のために自動閉塞を導入したはずがこれだけ人手が必要なのは何故?そして彼らはここで何をしているのか?
 さすれば、これは閉塞境界型や交換型や分岐型などといった典型的な信号場というよりも、操車場や貨物ターミナルの信号扱所(本来の意味での「信号所」)を想定したアイテムなのかなと考えられます。

 もちろん、この信号所を複数運用することにより、立派な交換型信号場や分岐型信号場として機能させることができます。こういうところは、線路から電気を取るNゲージなどとは違い単線でも双方向に列車を走らせることができるプラレールならではの強みと言えますね。
 さらに応用編として、列車に通票を持たせて交換駅や信号場で通票の授受を行う非自動プラレール路線の構築など、どんどんすばらしい夢とすさまじい妄想が広がっていきそうです。




其の三 忙しい信号場と暇な信号場(2003/2/2)


【ご注意】この記事内容は掲載当時のままであり、現行ダイヤとは大きく異なります。

言うまでもないことですが、交換型信号場は、列車本数の増加への対応、柔軟なダイヤ組成などを目的として設置されます。ですから、交換型信号場には列車の交換や待避といった役割を遺憾なく発揮することが期待されます。

  しかし実際には、目まぐるしく交換や待避が行われる信号場もあれば、その逆の「暇な」信号場もあります。そこで、時刻表を参考にいくつかの主だった路線の スジを引いてみて、各地の信号場の稼動状況を調べてみようと考えました。その結果は次のとおりです(JTB時刻表2002年10月号時点)。ただし、貨物列車や臨時列車は考慮していません。

凡例…信号場名=交換の回数/待避の回数 

<石勝線・根室本線 南千歳−新得間> 駒里=4/1  西早来=2/1  滝ノ下=2/0  オサワ=1/0  
東オサワ=2/0  清風山=4/0  東占冠=0/0  滝ノ沢=0/0  ホロカ=1/0  串内=1/0  
上落合=3/0  新狩勝=3/1  広内=6/0  西新得=1/0
※貨物列車や臨時列車の本数が多いので実際はもっと交換・待避頻度は高いと思われますが、それでも暇そうな信号場が
散見されます。駅・信号場を含めた平均停車場間隔は約5.5キロで、潤沢に交換設備があると言えますが、列車密度に比べ
て多すぎる感もあります。第2・第3の旧・鬼峠信号場が現れるのは時間の問題かも。

<石北本線 上川−上白滝間> 中越=3/0  上越=2/0  奥白滝=0/0
※ここは全国有数の列車密度希薄地帯ですから、中越・上越両信号場は大健闘と言えるでしょう。奥白滝信号場が全く働い
ていないのが気になります。平均停車場間隔は約9.3キロ。
なお、上り普通4670Dの上白滝発が1726・上川着が1832となっています。この間に「オホーツク5」と交換するのです
が、中越・上越のどちらで交換するのかが分かりません(一応中越と仮定していますが)。しかし次の駅まで1時間以上を
要する普通列車というのもすごいですね。

<田沢湖線 赤渕−田沢湖間> 大地沢=6/0  志度内=1/0
※「こまち街道」の田沢湖線ですが、大地沢信号場は十分に職責を果たしているものの、志度内信号場が意外にも暇でした。
臨時列車運転時や非常時には力を発揮するのでしょう。平均停車場間隔は約6.0キロ。
(志度内信号場で定期の交換があることについて、murasuke様からご指摘を頂きました)

<篠ノ井線 冠着−稲荷山間> 羽尾=1/1  桑ノ原=6/0 
※羽尾信号場、姨捨駅、桑ノ原信号場の3停車場連続スイッチバックで有名です。運転上の障害をものともせず桑ノ原信号
場が6回もの交換を扱っているのは見事です。ちなみに姨捨駅は12/1ですが、同駅でさばききれない分を両信号場で分担
している、といった感じです。平均停車場間隔は約3.7キロ。

<高山本線 上麻生−下呂間> 飛水峡=6/0  鷲原=3/0  福来=5/1  少ヶ野=3/0
※「ひだ」が雁行する特急街道だけに、各信号場ともまずまずの忙しさです。飛水峡信号場での交換が多いのは、停車中に
渓谷美をゆっくり楽しんでもらおうという配慮?(笑) 下呂駅からわずか1.7キロしか離れていない少ヶ野信号場で3回
も交換(うち1回は「ひだ」同士)があるのはあっぱれとしか言いようがないですね。平均停車場間隔は約5.0キロ。

<関西本線 加太−柘植間> 中在家=3/0
※ここもスイッチバック式で、普通列車同士の交換が午前中2回、夕刻1回あります。10年近く前までは日中の普通列車
ほとんど全てが交換するすさまじいダイヤが設定されていました。今でも、伊勢方面への修学旅行臨は必ずここで交換する
という伝説(?)があるそうです。平均停車場間隔は約4.5キロ。

<美祢線 厚狭−湯ノ峠間> 鴨ノ庄=0/0
※石灰石貨物列車が全廃されてからは鴨ノ庄信号場の出番がなくなりました。現在の列車密度では、廃止された旧・松ヶ瀬
信号場の二の舞いとなる可能性が高いものと思われます。平均停車場間隔は約2.1キロ。

 他にもたくさんの信号場がありますが、時間と根気がないのでこのへんでお茶を濁しておきます(笑)

  その路線の列車密度にもよりますが、だいたい日に3回以上交換・待避のある信号場はよく働いているほうではないかと思います。また、優等列車が多く走る幹 線級の線区ではほぼ全日にわたり信号場での交換・待避があるのに対し、ローカル輸送主体の線区では日中のパターンダイヤ時間帯を除く朝夕ラッシュ時のみ信 号場での交換・待避が発生する傾向があるように感じられます。一方、全く交換・待避のない「暇な」信号場もぽつぽつ見受けられますが、その中には、列車本 数の減少などにより既に使命を終えたとみなされるものもいくつかあります。

其の二 列車運転ゲームに出てくる信号場(2002/10/14)


 列車運転シミュレーションゲーム「電車でGO!2」には北越急行ほくほく線が収録されていますが、同線上に所在する3つの信号場(儀明、薬師峠、赤倉)は当然ながらすべてゲームに登場します。とりわけ薬師峠信号場では、ある条件を満たすことにより特急「はくたか」と交換できるという信号場テイストあふれるイベントまで用意され、我々信号場愛好家は思わずにんまりとしてしまいます。

 しかしいいことばかりではありません。このゲームは、とても見すごすことのできないミスを犯しています。

 それは、信号場の入口の信号機が「閉塞信号機」となっていること(ゲーム音声で「第○閉塞進行」と喚呼している)。

このサイトを最初からご覧いただいている方にはお分かりいただけると思いますが、信号場は駅と同じく「停車場」です。停車場であるならば、その入口には進入の可否を示す場内信号機、出口内方には出発の可否を示す出発信号機が設置されるはずです。しかるに、ここでは信号場全体が1つの閉塞区間に組み入れられてしまっているのです。これは到底納得できません。

  「電GO!」では場内・出発・閉塞の各信号機を運転上極めて重要な装置として位置付け、鉄道初心者の人にも列車運行システムの基礎…特に「閉塞」の概念…が理解できるようなゲーム内容に仕上げてあることは、大きな特徴であると言えるでしょう。それだけに、そこまでするのなら信号場をきちんと停車場として扱うべきではなかったか、との思いが拭いきれないのです。また信号場を停車場として他の駅と同様に通過タイム計測の対象にすれば、一層スリリングなゲーム展開にすることができたのに、もったいない、とも思います。

 まぁこのゲームについて言いたいことは他にも山ほどありますが、ゲーム性を高めて楽しくプレイするためにやむを得ず割愛したり変えてしまったりした所が多々あるのは仕方ないことと割り 切って、それよりもむしろ鉄道運転をゲーム化したという功績をまずは素直に讃えるべきなんでしょ う、ね…

 ちなみに「電車でGO!2」では他にも、鹿児島本線折尾−黒崎間の東折尾信号場も画面に現れますが、こちらは貨物駅くずれの待避・分岐型信号場で、ゲームの上でのインパクトがないため無視状態です。場所は、セクションを過ぎてゆるい右カーブから直線コースに入ったところ、「あと1200m」付近の画面右側に分岐がたくさん現れるあたりです(現・陣原駅もこのへん)。

<電車でGO!シリーズに登場する信号場>

ソフト名

路線名

信号場名

メ モ

電車でGO! 東海道本線 吹田(千里丘−岸辺) 名称字幕なし
全く無視状態
電車でGO!2 ほくほく線 儀明(ほくほく大島−まつだい)
薬師峠(まつだい−十日町)
赤倉(美佐島−魚沼丘陵)
名称字幕あり
電GO!で初めて認知された信号場
薬師峠信号場での列車交換イベントあり
大阪環状線 境川(弁天町−大正) 名称字幕あり
制限60のポイントとして登場
電GO!で初めて認知された信号場
鹿児島本線 東折尾(折尾−黒崎) 名称字幕なし
全く無視状態
電車でGO!
プロフェッショナル
仕様
ほくほく線 儀明(ほくほく大島−まつだい)
薬師峠(まつだい−十日町)
赤倉(美佐島−魚沼丘陵)
名称字幕あり
全信号場での列車交換イベントあり
田沢湖線
志度内(田沢湖大地沢(信)
大地沢
志度内(信)赤渕
名称字幕あり
大地沢信号場での列車交換イベントあり
電車でGO!
名古屋鉄道編※
名古屋本線
犬山線
枇杷島分岐点
(東枇杷島−西枇杷島・下小田井)
名称字幕なし
名古屋本線方と犬山線方の2基の信号機が
あり、インパクトは十分
犬山線 砂入(枇杷島分岐点−下小田井) 名称字幕なし
全く無視状態
汽車でGO! 磐越西線 沼上(中山宿−上戸) 名称字幕なし
交換型なのになぜか無視
信号場小屋(継電器室)は表現されている
※名古屋鉄道の2か所については、独立した信号場ではない可能性があります

 なお、管理人は以上のバージョンしか所持しておりませんが、Wikipedia「電車でGO!」によれば、これより後のシリーズでは江ノ島電鉄峰ヶ原信号所、佐世保線西有田信号場などが登場しているようです。

其の一 日本一有名?な信号場(2002/10/7)


 いきなりですが、川端康成「雪国」の冒頭部分

 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。

 これこそ、過去から現在に至るまで最も多くの人の目に触れた「信号場(所)」、日本文学史上最も有名な信号場、と言えば言い過ぎでしょうか。
 この「信号所」とは上越線の土樽信号場(現・土樽駅)というのが定説となっています。たしかに、国境の長いトンネル(清水トンネル)を抜けたところの信号場といえば、昭和初期当時ではここだけでした。

 さらに読み進むと…

 向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。夜の冷気が流れ込んだ。娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ叫ぶように
「駅長さあん、駅長さあん」 明りをさげてゆっくり雪を踏んで来た男は襟巻で鼻の上までを包み、耳に帽子の毛皮を垂れていた。 もうそ
んな寒さかと島村は外を眺めると、鉄道の官舎らしいバラックが山裾に寒々と散らばっているだけで、雪の色はそこまで行かぬうちに闇に飲
まれていた。

 当 時の上越線は通票閉塞式(タブレット閉塞式)だったはずですから、娘(葉子)が呼んでいた「駅長さん」は片手にカンテラ、もう一方の手にはタブレットキャリアを持って駅務室へ歩いている途中だったのでしょうか。 ただ、この後は葉子と駅長がしばらく話し込んでしまいますので、閉塞扱いや信号扱いや発車時刻はどうなってもいいのか??などと思ってしまいますが(笑)

 このほか、鉄道ファンや写真家等の間で一世を風靡した信号場として常紋(石北本線)、布原(伯備線/現・布原駅)といった撮影名所が挙げられるでしょう。また常紋信号場は、タコ部屋労働者の幽霊が出没するという「常紋トンネル怪談」の舞台としても知る人ぞ知る存在ですね(常紋信号場は2017/3/4廃止)