隈之城始発の八代行(川内) |
4日目(8/21・火) これから1日かけて帰宅の途につく。今日のメインは肥薩おれんじ鉄道赤瀬川信号場の現地訪問で、そのために阿久根駅のレンタサイクルを予約してある。 |
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おれんじ鉄道は全線電化で単線自動閉塞、そして津奈木ー湯浦間の複線区間など鹿児島本線時代ほぼそのままの状態を引き継いでおり、2両編成の気動車列車は架線の下を健気に走る。 阿久根を発車し、かぶりつきから赤瀬川信号場を撮影。阿久根・折口両駅まで3キロ未満、しかも折口駅は2面3線ということもあってJR時代から列車交換の少ない信号場であり、おれんじ鉄道転換と同時に廃止の憂き目かと思っていたら、どっこい今でも生きている。廃止するにも施設の撤去や閉塞装置の改造などの経費がかかるので、そういう意味では案外長生きするかも知れない。 海から離れてしばらく走ると出水到着。我が家でも生協の商品で馴染みのある鶏肉・鶏卵加工会社の工場が見える。後部1両を切り離して単行となり、同時に乗務員も交替する。ちょっと強面の運転士氏が乗り込んできたが、車内放送をはじめ接客態度は非常に丁寧で、すがすがしささえ感じた。阿久根駅員氏しかり、楽ではない経営状況にあって少しでも利用者を大切にしたいという姿勢がこの会社にはみなぎっているように思える。私は、採算重視のあまりこの区間を切り捨てたJRが失ってしまったものを見たような気がした。 |
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鈴なりの場内信号機(八代) |
水俣を過ぎると再び新幹線の高架が山側から現れ、その下に潜り込んだ先にある新水俣駅は、新幹線開業前は初野信号場という交換型信号場だった。本線と副本線との間の狭いスペースに島式ホームが設置されただけの無人駅で、新幹線の接続駅としてはやや貧弱に感じられた。信号場上がりの駅の宿命みたいなものだろうか。 肥後田浦で貨物列車と交換。せっかくの電化設備が貨物や回送などごく一部の列車にしか使われていないのは非常にもったいないと思う。 海沿いに出ると海岸線が適度にうねっていて心地よい車窓風景を演出している。決して絶景ではないが、天草諸島がほんわかと横たわっている眺めはまさに一幅の絵であり、見飽きることはない。ちなみにこの近辺の新幹線は山の中の肥薩線に近い所を走っていて、気の毒なくらいのトンネル連続区間である。 鉄橋で球磨川と肥薩線をまたいで地上に降り、肥薩線と単線並列になると八代の場内信号機が見えてくる。混同を避けるため肥薩線側の信号機には「肥」の標示が付けられているが、おれんじ鉄道側は未だに「鹿」のままであった。 |
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新幹線も堪能できた旅でした(新大阪) |
八代で乗り換え、ひと駅乗って新八代で下車。新幹線ホームでは次に乗る「リレーつばめ」が待っていた。車内清掃が済んで乗り込むとほどなく鹿児島中央からの「つばめ」が到着し、乗り継ぎ客が続々とホームを横断してくる。 ここからはもうひたすら帰るだけだし、車窓風景も見慣れたものなので見る気もあまり起こらず、シートの背ずりを倒してたちまち眠ってしまった。博多からは「ソニック」で小倉へ出て、初乗りのレールスター700系「ひかり」でまっすぐ帰途についた。 山陽新幹線もどうせトンネルばかりで車窓風景など望むべくもないから、ゆったりと背ずりを倒してまた寝てしまった。思えば新幹線は純粋な輸送機械であって、車窓風景を望むほうが間違っているのだ。そう割り切ることができればいいけれど、長らく鉄旅をやっている私にはなかなかそれができない。新幹線網の広がりとともに鉄旅のスタイルも変わっていくのだろうが、私はそれについていくことができるのだろうかと少し懐疑的である。 目が覚めると相生付近を走っていた。旅の余韻にぼーっと酔っているうちにもう新大阪だ。小倉で買った駅弁は結局車内で食べる機会を逸したので、帰宅してから電子レンジでチンして食べた。 |
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