三河内か三川内か? |
2日目(8/19・日) 今日の予定は西有田信号場の現地訪問でスタート。佐世保線で三河内まで行ってから西肥バスに乗り換えることとする。 |
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西有田からは松浦鉄道三代橋駅が近いので、そこまで歩いてひと駅乗って有田へ。三代橋までの道はややアップダウンがあり、歩いていると面白いように汗が出る。歩道には干涸びて殻だけになったカタツムリが転がっていた。今日も地獄のように暑い。 有田からは「みどり」と「ハウステンボス」の併結列車で博多へ向かう。博多では「鉄路ノ景」のashiwodi氏が私を迎撃してくださることになっているので楽しみだ。今日は「ドリームにちりん」乗車までフリータイムにしてある。 博多駅ホームに降りてきょろきょろしていると、すらり長身のashiwodi氏が声をかけてくださった。事前に私の指名手配写真をメールで送ってあったので、さすがにすぐ捕まってしまった。 駅ビルのカフェで昼食をとりながら、さてこれからどこへ…?と協議した結果、何となく香椎線に乗りましょうということになり、篠栗線で長者原へ出て宇美、そして折り返して西戸崎まで全線完乗した。途中、車窓から見える廃線跡や炭坑線跡などについてashiwodi氏から詳しく解説していただき、その博識ぶりに舌を巻くとともに、石炭産業華やかなりし頃の活気あふれる情景が目に浮かぶような気がした。 |
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ここだけ時間が止まっている(原田) |
香椎線は両端行き止まり、しかも他線との立体交差はあるわ信号場はあるわでまさに「鉄路ノ景」御用達のような路線で、私も久しぶりの乗車だったので満喫した。特に、香椎からぐるっと大回りで高度を稼いで鹿児島本線をまたぐ線形は何度乗っても楽しい。雁ノ巣あたりから線路周辺の土が砂に変わる。25年ほど前に初乗りした時は外が見えないほど砂を巻き上げて走るので驚いたが、今は対策が施されているのかそれほどではない。 香椎線の次に、我々は「原田線」に乗ることにした。筑豊本線は折尾と桂川を境に若松線、福北ゆたか線、原田線という愛称が与えられ、3区間それぞれに個性的なカラーを放っているが、その中でも原田線は鈍行が1日わずか7往復、個性的というより将来が心配な区間である。もっとも、日本交通公社時刻表1977年8月号を見ても鈍行7往復で、30年前と同数なのには驚いた。ちなみに当時は熊本発着の寝台特急「明星」が原田線を経由していて、今からするとこれも驚きに値する。 原田線普通列車として運用されているキハ31は、私には豊肥本線、三角線、肥薩線など熊本周辺の印象が強いのだが、新造当初は竹下に配置されていたそうなので原田線運用はいわば里帰りみたいなものだろうか。かぶりつき前望ができるのがまたよい。 |
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物思いに耽る?管理人(ashiwodi様ご提供) |
原田を出てしばらく行くと第7閉塞信号機が立っていた。筑前内野の交換設備廃止で桂川ー原田間は完全棒線化されたものの1閉塞ではなく、閉塞区間は昔のまま存置されているようだ。もっとも、現状で続行運転など考えられないので事実上無意味ではあるが。 |
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リニアモーター方式の七隈線(橋本) |
七隈線では大の大人2人が前望かぶりつきに熱中。ここは開削、ここはシールド、ここは山岳トンネル…と細かく説明していただけたので、トンネルばかりの地下鉄の前望も充分に楽しむことができた。途中、薬院大通にあるashiwodi氏おすすめのラーメン店に立ち寄って夕食。店内の劇場風の座席配置が面白く、味もなかなかよかった。再び七隈線に戻って橋本まで往復し、ついでにもうひとつの未乗区間である博多ー福岡空港間にもお付き合いくださるなど、夜遅くまで私の道楽に巻き込んでしまった。多大なる感謝とともに、今日は本当におつかれさまでした! 博多駅の下りホームでashiwodi氏を見送った後、今夜の宿となる「ドリームにちりん」を待つ。かつて鹿児島本線夜行「ドリームつばめ」とペアを組んでいた頃が懐かしいが、夜行高速バス全盛の今なお走り続けているのは奇跡に近いとも思える。 自由席は博多発時点で7割程度の乗車率。短距離客が多く、折尾、黒崎、八幡…と駅ごとにどんどん乗客が減って寂しくなったなぁと思っていたら、小倉ではホームに長蛇の列ができていて、車内はあっという間に満席となった。 |
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