大井川・烏山・竜ヶ崎・銚子

非自動巡礼の旅

2001/9/1〜4

非自動な風景を求めて、7月の名鉄訪問に引き続き、関東方面への遠征を敢行しました。いずれなくなる通票等の姿を今のうちに記録しておきたい、という焦りにも似た動機があり、スケジュールをいろいろひねくり回して時間を捻出しての旅立ちでした。時間に余裕がないという割には「青春18」使用という酔狂な旅でもあります。

主な目的地が関東3県と、中間点である静岡県にあるということでプランニングには制約が多く、しかも帰りの飛行機(羽田→関空)をウルトラ特割で早々に押さえたことから大井川鐵道は往路に行かざるを得なくなりました。大阪を早朝に出て大鐵に寄って宇都宮に向かうのは相当過酷な乗り継ぎプランを強いられるため、いろいろ考えた末「ムーンライトながら」の活用を思いつき、実行にうつしました。


「ながら」のおかげで乗れた大雄山線

1・2日目(9/1・2)

自宅を19時半ごろに出発し、一路大垣へ。大阪から大井川鐵道をめざす人間が「ながら」乗車というのは変だが、早暁6時出発で窮屈な乗り継ぎを重ねて金谷へ向かうよりもかえって余裕のあるスケジュールが立てられた。

私は発売日に「ながら」の指定券を買ったにもかかわらず熱海までの、しかもC席しか取れなかった。名古屋あたりから指定券のない人々が乗り込んできてデッキでたむろするのは相変わらず。なぜか静岡から多数乗ってきた。

まだ暗い川崎で下り一番列車に乗車。小田原で降り、未乗の伊豆箱根鉄道大雄山線を往復する。こまめに駅が設けられている印象が強く、クロスシートの新車も2編成ほど就役していた。小田原駅弁「小田弁」で朝食をとって金谷へ向かう。



新金谷

大井川鐵道は以前に井川→金谷と乗っているが、その時は新金谷−金谷がスタフ閉塞だとは気付いていなかった。ここはいろんな鉄道から購入した車両が走っているのでそれも楽しみの一つだが、金谷から乗ったのは元近鉄特急車、帰りは元京阪特急車と、どちらも過去に乗車経験のある車両だった。

SL急行運転時刻に合わせて着いたため、金谷駅は大混雑。新金谷ではそれに輪をかけた人々の群れで、ほとんど遊園地の乗り物みたい、と思いながらも撮影場所探しにいそしんだ。

駅の外からSL入線を写し、素早く入場券を買ってホームでスタフの受け渡しを撮る。硬券の入場券には「乗車記念」の印を捺してもらった。

金谷へ戻り、東海道乗り継ぎで大船へ。


鎌倉駅ホームの乗車位置

途中、沼津で駅弁を買い、ホームの立ち呑みスタンドでホットドッグをかじる。立ち食いそばもあり、機関車付け替え駅の伝統からか駅内での供食施設は充実している。

今夜は宇都宮泊だが、鎌倉から小山まで「ホリデー快速鎌倉」が走ってくれるので、乗らないわけにはいかない。ただし鎌倉からでないと座れないだろうから、大船で乗り換えて鎌倉へ向かう。このへんのフットワークの良さは青春18ならではだ。もっとも、18の倍の年齢のオッサンが嬉々としてこんな旅行をしているのは不気味…(笑)いやいや、トシに関係なく、旅は楽しいものなのだ。

言うまでもなく、この列車は品鶴・武蔵野貨物線経由の「裏街道列車」である。今日の旅程プランニングは、大鐵のSLとこの列車がカギとなった。


車両は変哲のない宮ヤマの115系7連

鶴見の手前で不自然な分岐の渡り方をしたかと思えば、貨物線に入って品鶴線の出発信号待ち。しばらく横須賀線と平行して走り、新川崎付近からさらに分岐して武蔵野線の長いトンネルに突入。車内放送で「この列車は時刻表に載っていない貨物線を通って西国分寺へ向かいます」と、ミステリー列車ばりの案内があった。

府中本町を通過、旅客線部分の武蔵野線は3回目の乗車だが、半地下掘割りの殺風景さにはどうも馴染めない。浦和の渡り線は2回目で、トンネルを出るとさいたま新都心のビル群がにょきにょき。

鎌倉−横浜間は立ち客もいたこの列車、横浜からは4〜5割程度、さらに大宮以遠は3割以下の乗車率に。小山で乗り継ぎ、宇都宮駅前のホテル泊まり。晩飯は名物といわれる餃子にした。


大金

3日目(9/3)

宇都宮715発の黒磯行で出発、宝積寺で高校生満載の325Dに乗り換え。烏山線は実に16年ぶり2回目の訪問だ。大金で次の列車のスタフの授受風景を捕らえようと待ち構える。合間に駅周辺をぶらつくと、駅の横に「大金神社」、そしてややくたびれた「大金いかんべ共和国」の大統領府が。このミニ独立国は現在でも主権を保っているのだろうか。

328Dが到着、スタフ渡しを収めようとカメラを回しながら、逆光補正ボタンを押したつもりが何とフェードアウトボタンを押してしまった。当然テープには何も写っていない。なんでこんなボタンが逆光補正の下に付いてんねん!?とボヤいても自分のミスだから仕方ない。今日は明るい内に銚子まで行きたいからこれ以上大金に留まるわけにはいかない。交換列車327Dへのスタフ渡しは辛うじて撮れたものの、嗚呼、汽車は出ていくスタフも出ていく…


宇都宮の駅弁立ち売り

帰りの328Dは宇都宮直通ということもあってか立ち客も出るほどの乗り。やや落ち込みながら宇都宮へ戻る。宇都宮では、全国的にも数少なくなった駅弁の立ち売りがあり、おじさんが大声を張り上げていた。朝食は済ませていたが、感動のあまり「鳥めし」を買ってしまう。

次は水戸線に乗るため小山へ。小金井付近で広大な小山電車区を見下ろす。そういえば烏山線のキハ40も宮ヤマだった。

水戸線は水カツの青帯411系4連。交直切り替えの様子を見るため、運転席後ろにかぶりつく。「交直切替」の標示が現れ、車内灯が消えたかと思えば、あっという間にデッドセクションを過ぎてしまっていた。


竜ヶ崎

下館では関東鉄道常総線の車両がちらと見える。あれに乗っても取手では予定の時刻に間に合うが、過去に一回乗ってるからいいか、とこのまま友部まで乗ることとした。

佐貫からの関東鉄道竜ヶ崎線は2回目の乗車だが、これも初乗りの時はスタフ閉塞に気付かず、またこうして来ることになってしまった。どちらの運転席も竜ヶ崎に向いて右側に付いているのが相変わらず面白い。新型車両には不釣り合いな古びたキャリアが竜ヶ崎方運転席に引っ掛けてあり、よく見ると玉の中央には穴のかわりに六角形の出っ張りが付いていた。票券閉塞の通票のような感じで、その名残りかなと考える

ここで雨がぽつぽつ降ってきた。台風が関東沖を北上していることもあり、銚子の天候が案じられる。


笠上黒生

佐貫、我孫子と進むたびに雨脚が強まる。成田線で成田着、ここで遅い昼食の駅弁を買う。成田の駅弁は種類が多く、比較的安価で良心的だと思う。

佐原回りの453Mで銚子へ向かうが、外も見えないほどの強い雨がどこまでも追いかけてくる。これでは銚子もさぞかし…と観念した。

思いが通じたか、銚子では小降りとなる。銚子電鉄に乗り換え、雨で見通しが悪いながらも前方注視。笠上黒生の場内信号機は、つい最近まで腕木式だったはずだが色灯式に変わっていた。笠上黒生で下車して通票授受を撮影し、次の列車で外川へ。今夜の宿は駅から徒歩5分ほどの国民宿舎で、早めに入浴と夕食を済ませ、再び笠上黒生へとって返して20時頃に出る通券携帯列車に乗車する手はず…だった。


外川

夜の帳が下りるにつれ風雨はいよいよ強まり、宿を出る予定時刻にはとても外を歩けそうな状態ではなかった。これで今夜の通券見物は絶望だ。翌朝には仲ノ町から笠上黒生へ通券列車が走るが、5時台の発車なので行くのはさすがに困難だ。せっかくはるばる来たのに…涙雨が強風に乗って激しく窓をたたく。

4日目(9/4)

一夜明けてもしつこく雨が残っている。宿を8時半ごろに出て、笠上黒生で通票授受をもうひとカット撮り、仲ノ町で下車して撮影。銚子駅でぬれせんべいなど若干の土産物を買い、八日市場回りの普通で千葉へ。千葉都市モノレールの未乗区間である千葉−県庁前を乗ったりしてたら昼になった。


木更津

帰りの飛行機は羽田16時30分発なので少し時間がある。ここは房総に残るタブレット路線・久留里線を見に行こう。とは言っても列車に乗るほどの時間はないから、木更津のタブレット授受風景を眺めるだけだが…。到着と出発の授受をカメラに収め、木更津と言えばこれ、という「バーべQ弁当」を買う。時刻表欄外には3種類の価格があるように書かれていたが、リニューアルされたのか2種類になって価格も変わっている。1000円の方を買った。

木更津東口から羽田空港行のバスに乗車。京急の車だった。ほんらいなら鉄道で羽田へ行くところなのだが、アクアライン経由という面白さもあって今日はこちらにした。途中の袖ヶ浦BTからも結構乗り、ほぼ満席に。


海ほたる

飛行機は地に足が着いていないというか、どうも苦手だ。離陸直前の加速度がいつもながら無気味に感じられる。とは言いつつ、飛んでしまえば窓から下界を眺めるのは、1/20万地勢図を見ているようで楽しい。短いような長いような1時間あまりを飛んで無事関西空港へ。

帰りの関空快速の中で、しんみりと今回の旅を反芻していた。悪天候や自らのチョンボのため悔いが残って仕方がない。とうとう食べる機会のなかった「バーべQ弁当」は、帰宅してから開いた。数年前に食べた旧バージョンの方が好きだったな、と思いつつ冷えたご飯を口に運んだ。

でもまぁまた行ったらいいか。通票よ、それまで残っていてくれよ!