唯一の九州内夜行列車となってしまった(南延岡)

3日目(8/20・月)
南延岡ー佐伯ー大分ー由布院ー鳥栖ー新八代ー鹿児島中央

早暁5時半の南延岡到着。佐伯行普通の一番列車の発車時刻まで駅周辺をうろついて時間をつぶす。717系2連の車内は3割程度の乗車率で南延岡を発車した。なにしろ日に3本しかない宗太郎越え普通列車なので、明らかに「鉄」な乗客もちらほら見られる。私の隣のボックスに座っている人はずっと車内放送を録音し続けている。
川原木信号場が近づくと、一般人のような顔をして座っていた私も本領を発揮し、かぶりつきでビデオカメラを構える。4年前のように録画ボタンを押し損ねるヘマはせず、確実にテーブにおさめた。これでもう川原木の夢にうなされなくて済む(笑)
佐伯からはバスに乗って川原木現地訪問という一応の予定であるが、車窓から見た限りは草木が盛大に繁茂していて、現地にたどりつけるのか全くわからない。秘境信号場の悪夢の再来はもうごめんだし、連日の猛暑で体力も消耗気味である。私は現地訪問を断念した。

香椎線からの転勤族(大分)

となると4時間ほど時間が余るので、どこか温泉でも行ってバテ気味の身体をいたわることにしようと考え、佐伯からの「ソニック12」車中で目的地を物色していると、今まで通り過ぎるばかりで下車したことのない由布院の駅名が目に止まった。
大分で駅弁を買い、ほどなくやってきたキハ220×2連の由布院行普通に乗車。観光客風の乗客も多かったのでロングシートなのは頂けないが、どうせ前望かぶりつきに興ずるから私にはあまり関係ない。
由布岳を仰ぎ見ながら由布院着。徒歩5分程度のところに「クアージュ」という公営のクアハウスがあるというので行ってみる。普通の温泉風呂とプール等のクアゾーンがあり、水着着用のクアゾーンでは初日に海水浴場に行きそびれてお役御免になりかかっていた海パンがめでたく役立つこととなった。
露天風呂もあるが浴室がかなり狭いので、私はほとんどクアゾーンの方にいた。バンバンになった足のふくらはぎや慢性的な肩こりを打たせ湯でマッサージしたり、プールでゆっくり泳いだりしながら、やっぱり旅の途中にはこういう時もないとなぁ…としみじみ感じた。

ボンネットバスが待つ由布院駅
休憩室で大分の駅弁を食べながら、ここを早めに辞してトロッコ連結の「トロQ列車」で南由布まで往復しようかなとも考えていたが、何となく邪魔臭くなって仮眠室で1時間半ほど横になる。座席夜行明けの身にはフラットな床面がとてもありがたい。
おもむろに着替えて外へ出ると路面が濡れていて水たまりもあり、私が寝ている間にかなり盛大に雨が降ったようだ。もし「トロQ」に乗っていたらえらいことになっていたかも知れない。運が強いのか弱いのかよくわからないが、とりあえずは結果オーライと解釈しておこう。
由布院からは「ゆふDX4」に乗車。久しぶりの久大本線なので車窓を見る目にも力がこもる。今はなき宮原線の分岐駅だった恵良を通過。25年前、宮原線に初乗りした時もすごい雨が降っていて、宝泉寺駅の駅長がずぶ濡れになりながら通票を授受していた姿が強く印象に残っている。
鳥栖で下車し「リレーつばめ19」に乗車。本来なら久留米で乗り換えるべきであるが、鳥栖からでも乗る列車は同じだから座席確保の可能性が少しでも高い方がよい。このへんの自由度は周遊きっぷのありがたさだ。

2面3線4形式(由布院)

便利な周遊きっぷではあるが、遺憾なことにこれから乗る九州新幹線はゾーンから除かれている。鹿児島へは日豊本線か肥薩線経由で行けというのは、青春18きっぷならまだしも、それ相応の金額で発売している周遊きっぷとしてはあまりにもお粗末ではないだろうか。多少値段は上げても九州新幹線は利用可能にしないと、このままでは全くの欠陥商品だと思う。
と、ボヤいていても始まらないので「つばめ・おれんじぐるりんきっぷ」なる7千円の企画きっぷを併用することにした。熊本ー鹿児島中央間を片道は新幹線自由席、片道は肥薩おれんじ鉄道を使って往復するというもので、新幹線初乗りと赤瀬川信号場訪問を目論む私にとってはまことに好都合なきっぷである。
鹿児島本線沿線では建設中の新幹線の高架が延々と続いており、全通間近を感じさせる。その時には「元祖つばめ」787系の処遇はどうなるのだろうか。
熊本を出て千丁を過ぎると間もなく列車は上り線に渡り、さらに分岐して大きく回って新八代の新幹線ホームに到着。近鉄の京伊特急が通る大和八木の新ノ口連絡線を思い起こした。


鼻先が長くて撮影しにくい(鹿児島中央)
わずか3分程度の乗り継ぎもスムーズに終わり「つばめ」は静かに新八代を滑り出た。ただ、トンネル部分が予想以上に多く、まとまった景色が見られるのは駅の周辺だけみたいな感じだ。延々と真っ暗な車窓を見つめながら、在来線時代の「つばめ」から堪能できた天草諸島などの眺めがほとんどすべて失われてしまったことに今更ながら気づいた。
列車は新水俣にさしかかり、そこが新水俣かどうかもわからないくらいの高速で通過し、すぐまたトンネルに入る。地上部を走るわずかな間にちらっと見える海が若干の心の安らぎとなる。
川内を出て、この先本当に鹿児島へ行けるのか不安になりそうな山の中を走り続けるうち、減速しながら最後のトンネルを抜けるとそこはビルや建物がにょきにょき建つ鹿児島市街であった。桜島も何も見えないままいきなり鹿児島だ。私はタイムマシンに乗った浦島太郎のような心持ちで鹿児島中央駅ホームに降り立った。
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