よんかく前史

駅長の青春時代(^^;; の鉄道旅行記
「あのころはまだ非自動が元気だった…」


PART 1  1985.8 初渡道!国鉄乗り倒し

1985年8月当時の
北海道内国鉄路線一覧


月日

行       程

メ         モ

1985
8/8
大阪2320(501M 急行きたぐに新潟行)車中泊 B寝台下段に乗車。お盆なのでロハネ、ロハザ全て満席。

8/9
850新潟1218(9801M 臨時急行庄内1酒田行)1328村上1330(837レ秋田行)1745羽後本荘1803(333D矢島行)1844矢島1850(334D羽後本荘行)1929羽後本荘1936(839レ秋田行)2033秋田2117(4001M 特急白鳥青森行)2351青森 庄内…「きたぐに」の間合い大ムコ車。「きたぐに」で寝台だった7〜12号車は回送扱いで乗車不可。583系で昼間の白新線・羽越本線を走るのは新鮮だった。 
837レ…50系(新サカ)×5連、最後車オハフ502061。女鹿信号場(当時)に停車した時、3両目だけで客扱いしていた。このころの羽越本線は客車鈍行の天下。
白鳥…9号車モハ485189。満員だったが東能代で何とか座る。車掌が青函連絡船の乗船名簿を配りに来たので受け取って記入。シーズンだけあって連絡船の乗り継ぎ客は多かった。→羊蹄丸(1989冬)

8/10
青森030(青函連絡船1便)445函館510(11D特急北海1札幌行)640黒松内703(140D〜923D瀬棚行)928瀬棚1025(924D長万部行)1150長万部1219(102レ急行ニセコ函館行)1415函館1513(727D〜4827D松前行)1726松前1759(834D函館行)2039函館2352(8211レ臨時急行すずらん59札幌行)車中泊 青函連絡船…大雪丸(5736トン)。大混雑で、椅子席をようよう1つ見つけて着席。船内売店で道内時刻表と秋鮭弁当を購入。所定は函館425着だが、濃霧のため445着となる。
北海…これも大混雑だったがかろうじて着席。所定は440発。長万部からの函館本線はタブレット閉塞なので通過授受をしていた…はずだったが特急の車窓からは見えなかった。
140D〜923D…瀬棚線(廃止)。キハ22330+函館行2両(いずれも函ハコ)の3両編成で、海水浴客らで満員。長万部で切り離し、こちらは国縫から瀬棚線に入る。今金で後に2両増結。もちろんタブレット閉塞。
ニセコ…最前車スハフ14552(札サウ)。函館山線経由で札幌−函館間を結ぶ。
727D…前2両江差行・後2両松前行、3両目キハ27101(函ハコ)。
すずらん…5号車オハフ14504(札サウ)。満席。

8/11
559札幌700(21D特急オホーツク1網走行)732岩見沢744(821レ滝川行)827砂川830(625D歌志内行)857歌志内914(626D砂川行)939砂川942(823レ滝川行)951滝川954(157M旭川行)1059旭川1128(321レ稚内行)1349美深1352(923D仁宇布行)1422仁宇布1429(924D美深行)1459美深1502(303レ急行天北稚内行)1534音威子府1544(321レ稚内行)1907稚内2105(318レ急行利尻)車中泊 821レ…最後車オハフ5163(札イワ)、牽引はDD51。
157M…北海道の電車初乗車。クハ71129(札ナホ?)。当時旭川駅は「あさひがわ」だった。
321レ…オハフ5141(旭アサ)+50系1両+郵便車1両(形式不明)。
923D〜924D…かつて「日本一の赤字線」で有名だった美幸線(廃止)。キハ22302(旭アサ)単行。乗客の大半が同業者(^^;;で、折り返し924D車内もほぼ同じ面子だった。仁宇布で撮影や入場券購入に手間取った者がいたため924Dは所定より5分遅発、美深にも4分遅着。
天北…夜行急行「利尻」と共通運用のため14系客車列車。ハネも座席車として乗車可能だった。オハ14530(札サウ?)。
音威子府…駅そばが黒くて太くて、うまかった。今でも食べられると思う。
321レ…上記で美深まで乗ってきた列車。同じ車両に乗る。
利尻…上記の「天北」の編成。増4号車がついて7両編成。オハ14516。自由席はほぼ満員。揺れがひどいのなんの、ほとんど一睡もできなかった。

8/12
555札幌720(702D急行えりも2様似行)1122様似1135(国鉄バスえりも岬行)1240えりも岬1430(国鉄バス広尾行)1532広尾1640(830D帯広行)1840帯広 宿泊

えりも…1・2・増号車(車掌は「ましごうしゃ」と言っていた)の3両編成で、満席。増号車のキハ56149(札サウ)。当時の日高本線もタブレット閉塞。浦河を出たところで車掌が、えりも行バスの利用者をカウントしに来た。
国鉄バス…ほぼ満席で様似を出発したが、ごく数人の地元客以外は全て周遊券所持者だった(私もその1人;;笑)。襟裳岬はものすごい強風で散策するのも一苦労。広尾行バスも当然ながらほぼ全員周遊券客。広尾までの国道336号線は別名「黄金道路」と呼ばれており、眺めがよいからそう言うのかなと思ってたら、金塊を敷き詰めたくらいの建設費がかかったからだそうな。
830D…「幸福駅」で一世を風靡した広尾線(廃止)。キハ22239(釧クシ)等の2両編成。途中、幸福−愛国間だけバスツアーの団体が乗り込んで大混雑となる。

5日目にして初めてマトモな宿に泊まる。ロビーのTVが声高に「日航機消滅」を報じていた。翌朝の新聞で大惨事(御巣鷹山墜落事故)だったことを知る。

8/13
帯広751(723D十勝三股行)942糠平947(士幌線代行バス十勝三股行)1020十勝三股1105(士幌線代行バス糠平行)1138糠平1146(726D帯広行)1300帯広1411(402D急行狩勝2札幌行)1724砂川1752(929D上砂川行)1808上砂川1829(930D砂川行)1842砂川1845(2020M特急ライラック20札幌行)1943札幌2202(513レ急行大雪3網走行)車中泊  723D〜代行バス…士幌線(廃止)。キハ22601(釧クシ)等の2両編成で、どちらも半分ロングシートという珍車。十勝三股行とはいうものの途中糠平から先は乗客僅少のため運転休止中で、バス代行となっている。バスは満席で、郵袋を持ったおばさんと地元のおっさんの他は「お約束どおり」乗りつぶし組。休止区間の踏切には「この線路は当分の間列車が通りません 釧路鉄道管理局長」の立て札。「幌加温泉入口」停で郵袋おばさんが降りた以外、途中乗降は皆無。十勝三股駅構内は草ぼうぼう、駅舎は窓に板が打ち付けられていて痛ましいが、転車台や信号てこはまだ動いた。駅付近には喫茶店とバス待合所の他は何もない。折り返し代行バスの乗客は全員往路と同一メンバー(^^;; 。
狩勝…キハ56の3両編成。札幌と道東を結ぶ列車の主力は石勝線経由に移っていたが、狩勝だけは滝川回りをつらぬき続けていた。
上砂川…函館本線上砂川支線(廃止)の終着駅。TVドラマ「昨日、悲別で」(1984年)の「悲別駅」のモデルとして一躍有名となった。既にブームは下火だったが、上砂川駅付近はいまだ盛り上がっていた。町おこしになったのだろうか。
大雪…ハネ・増結車1両含む14系×6両。満員。苗穂で10分停車し、郵便車を連結。

8/14
356遠軽423(622D名寄行)443中湧別508(921D網走行)552佐呂間605(940D湧別行)707湧別713(923D網走行)1009網走1118(627D釧路行)1516釧路2225(414レ急行まりも札幌行)車中泊 622D〜921D〜940D…名寄本線(廃止)。遠軽では「大雪」からの乗継ぎ客が多数。前からキハ2252(旭アサ)+キハ22(車番不明)+キハ22309(旭キミ)+キハ40154(旭アサ)の4両編成だが、後部2両は回送扱い。中湧別でその回送扱い2両を切り放して、それがそのまま湧網線(廃止)921Dに化ける。それでも2両目が回送扱いなのでどうなるのかと思っていたら佐呂間で切り放し、940Dとして逆戻りする。まことにあっぱれな車両運用だ。私もその940Dで湧別へ向かう。中湧別−湧別間は1日わずか2往復だが、湧別駅には駅員がいて、きっぷを購入した。
923D…オホーツク海・サロマ湖沿いをまったりと走る。あまりにもまったりしていたのと、夜行の寝不足のため眠ってしまい、車窓風景はおぼろげな記憶しかない(泪)。

8/15
625札幌800(5031D特急おおぞら1釧路行)910新夕張914(625D夕張行)947夕張1143(1828D千歳行)1211新夕張1214(5035D特急おおぞら5釧路行)1323新得1330(442D滝川行)1544富良野1547(636D旭川行)1715旭川1737(3027D特急おおとり網走行)2048北見 宿泊 625D…キハ40109等の2両編成。夕張では「石炭の歴史館」に向かったものの、あまりの混雑に入場を断念。
442D…キハ40223+キハ22の2両編成。新得を出ると広内(信)で9分止まって「おおぞら6」に抜かれ、新狩勝(信)と上落合(信)でも停車という、信号場めぐりにもってこいの列車だ。ついでに落合でも11分停車した。
おおとり…函館−網走を結ぶロングラン列車。2号車キハ80157。座席はリクライニングしない初代ロマンスシート。遠軽発後に食堂車へ夕食をとりに行く。北海定食780円也はカニやイクラなどの魚介類を散らした「わっぱめし」風丼にみそ汁が付いたもので、残念ながら味はいまいちだったが、数少なくなったキシ80の最後の思い出にと、またたく間に平らげた。

8/16
北見806(932D帯広行)1130池田1551(5040D特急おおぞら10札幌行)1916札幌2120(317レ急行利尻稚内行)車中泊 932D…池北線(現・北海道ちほく鉄道)。キハ2242等の3両編成。キハ2242は廃車が近いのか、車内灯が白熱灯のままで扇風機も付いていない。置戸で1両切り放し、足寄でどっと乗り込んで満席に。池田ではワイン城見学に向かう。当時「毒入りワイン騒動」というのが世を騒がせていたにもかかわらず結構な混み具合。中の町営レストランでステーキを、と思ったがなんと50分待ちとのことで、駅向いの「よねくら」で昼食。

8/17
555南稚内607(338D音威子府行)730幌延800(824D旭川行)1256深川1346(963D〜6963D朱鞠内行)1551朱鞠内1621(945D名寄行)1722名寄1733(344D旭川行)1803士別1857(306D急行礼文旭川行)1957旭川 宿泊 824D幌延−羽幌線(廃止)−留萌−留萌本線−深川−函館本線-旭川というルートをたどる。幌延800発・旭川着1339は、宗谷本線経由といい勝負といえる。キハ22104(旭アサ)等の2両編成。羽幌線は海岸沿いを淡々と走る催眠効果満点の路線で、また寝てしまった(笑泣)。当時の留萌本線はほぼ各駅ごとに交換設備があって急行や貨物等がタブレット通過授受をやっており、この時も大和田でDD51単機回送の通過授受に出くわした。
963D〜6963D…深名線(廃止)。キハ40242(旭アサ)単行。深川では満員だったが幌加内で大半が下車。鷹泊も交換可能だった。
礼文…キハ2724(旭アサ)等3両編成。

8/18
旭川810(4711D急行るもい)941留萌952(763D増毛行)1021増毛1027(763D増毛行)1057留萌1142(824D旭川行)1256深川1304(302レ急行宗谷札幌行)1435札幌1459(629D新十津川行)1711新十津川…農学校前1724(国鉄バス花月市街行)1730花月市街1740(国鉄バス砂川行)1756砂川1805(8804D臨時急行天売)1923札幌2120(317レ急行利尻稚内行)車中泊 るもい…前から札幌行「かむい2」(1・2・3・増号車)、幌延行「天売」(増3・増4号車)、留萌行「るもい」(4号車)の計7両編成の3階建て列車。「るもい」のみキハ22(310 旭アサ)で他はキハ27。深川で「かむい2」を切り放すとともに札幌から来た「天売」2両が増3号車の前に付き、5両編成となって留萌本線に入る。このころはこういった芸の細かい分割・併合や多層建て列車がまだ残っていた。
629D…前からキハ40146・キハ40135(札ナホ)等の5両編成。新十津川まで行くのは1両目だけで、あとは石狩当別と石狩月形で切り放し。石狩当別から先が非自動区間で、当別−月形−浦臼がタブレット閉塞、浦臼−新十津川がスタフ閉塞。
国鉄バス…当初は滝川行に乗る予定だったがバス停が見当たらず、ようやく見つけた時にはタッチの差で発車したところだった。すると反対方向のバス停に花月市街行が停車し、反射的に乗る。他の客は次の菊水町で全員下車し、1人となる。「花月」というと吉本興業の演芸場を連想してしまう私には、花月市街って何か楽しい場所なんじゃないかという期待があった(笑)のだが、来てみれば大きな交差点の周囲に数軒の人家や商店等があるだけのところだった。好接続の砂川行は私のほかおばさんが1人。「○号線」という名の停留所が多く、あらためて北海道を実感する。
天売…2両編成の先頭車キハ56136乗車。乗車率は1割未満かと思われる。上幌向で運転停車し「オホーツク4」に道を譲る。もし滝川回りだったら札幌着はもっと遅くなっていた。この「天売」と花月市街に感謝したいくらいだ。

8/19
600稚内920(724D音威子府行)1304音威子府1308(324レ旭川行)1425名寄1429(627D遠軽行)1747中湧別1838(929D網走行)2105網走2123(514レ急行大雪札幌行)車中泊(B寝台) 724D…天北線(廃止)。キハ22320(旭アサ)単行。座席が6割くらい埋まっており、この区間にしては非常に高い乗車率と言えよう。途中曲淵でDE152502(名)の牽く貨物と交換。
627D…名寄本線(廃止)経由。キハ22140+キハ22141(旭キミ)の2両編成。140の方は白熱灯・扇風機なしの未更新車。オホーツク海沿岸をまったりと走るのは湧網線と同じだが、こちらには紋別などの大きな町があり、人工物も多い。

8/20
645札幌705(401D急行狩勝1釧路行)738岩見沢741(733D幾春別行)811幾春別816(734D岩見沢行)846岩見沢921(262D苫小牧行)1053苫小牧1123(937D日高町行)1417日高町1430(国鉄バス帯広行)1640帯広1917(8417D臨時急行まりも51釧路行)2129釧路 宿泊 733D…幌内線(廃止)。キハ40224(札ナホ)等の2両編成だが、単行の半室でもいいくらいの乗り。北海道初の鉄道という歴史が感じられる雰囲気ではなかった。
262D…キハ22333(札トマ)+キハ40の2両編成。栗丘−由仁間、三川−苫小牧間は複線(現在は栗丘−栗山間単線)で、昔日の石炭輸送の面影を残す。しかも複線区間だけでなく単線区間にも閉塞信号機が建っており、現在でもかなりの高密度運転が可能のはずだが、宝の持ち腐れになってしまっている。
937D…富内線(廃止)。キハ22282単行。ここまで来るとタブレットも見飽きた感じがしてきた。
国鉄バス…日勝高原線という立派な名前の季節限定路線。乗客は23人いたが、全員周遊券所持。日勝峠は普段なら十勝平野が一望できるらしいが、濃霧のため何も見えなかった。途中、第一展望台前停留所で10分休憩するが、半袖の薄着では寒いのなんの、風邪をひきそうな感じだった。

8/21
釧路930(612D急行しれとこ2根室標津行)1203根室標津(4328D釧路行)1253中標津1323(354D厚床行)1430厚床1447(213D急行ノサップ3根室行)1530根室1612(274D釧路行)1912釧路2225(414レ急行まりも札幌行)車中泊 しれとこ…前2両は網走行、後2両が根室標津行。3両目のキハ22252(釧クシ)乗車。標茶で根室標津行が切り放され、普通列車4325Dとなって標津線に入る。
354D…キハ2287(釧クシ)単行。中標津では、転勤の見送りかホーム上で万歳三唱の声。高校生が多く、満席。厚床で種村直樹氏を見かける。
274D…根室は曇っていて風が強く、とても寒い。8月なのに男子高校生は全員詰襟を着ている。というか、半袖なのは私だけ(^^;;; で、周囲から完全に浮いていた。根室から乗車の高校生のほとんどは厚床で降り、代わりに厚床から乗ってきた高校生集団は大半が釧路まで。通学だとしたら相当な遠距離通学だが…。

8/22
625札幌755(2002M特急ライラック2室蘭行)951室蘭1000(1527M旭川行)1012東室蘭1029(6004D臨時特急北斗4函館行)1319函館1340(725D江差行)1556江差1632(732D函館行)1854函館 宿泊 ライラック…8/13以来10日ぶりの電車列車(この時もライラック)。
北斗…80系の5両編成で、4号車キハ80146乗車。指定席のほうが混んでいた。
725D…江差線(廃止)。キハ40172(函ハコ)等の4両編成で、松前行2両との併結。

8/23
函館1138(3027D特急おおとり網走行)1336洞爺1341(535D室蘭行)1409伊達紋別1436(829D倶知安行)1710倶知安1715(141D小樽行)1847小樽1900(1772M千歳空港行)1943札幌2121(46レ函館行)車中泊 おおとり…3号車キハ80158(函ハコ)乗車。2・4号車はなんと大ミハ車で、僻遠の地で旧友と出会ったような感じ。転属直後だったのだろうか。いずれにしても2度目の「おおとり」なので、キシへ行ってシチュービーフ&ライス1350円也を奮発する。こちらの味はまあまあだった。
829D…胆振線(廃止)。キハ40224(札ナホ)単行。7割くらいの乗車率で、北湯沢で大半が下車。新大滝−御園間の分水嶺越えは運転席後ろで前方注視。
倶知安…北海道で私の最も好きな駅名。「くっちゃん」という、「もうどうでもいいや」という捨て鉢な感じの響きがよい。アイヌ語由来なのだろうが、よく当てる漢字があったなぁと感心する。
141D…キハ40178(札ナホ)単行。道央・道南ではキハ20系列がキハ40系列に急速に淘汰されつつあった。然別で小樽方に2両増結し、次の仁木で高校生の大集団が乗り込んでたちまち混雑。ほぼ各駅ごとにタブレットの授受をしながら、のんびりと走る。
46レ…スユニ主体で客車は3両のみという半混合列車。そのうちの1両、スハフ44101はカーペット車で、「ミッドナイト」の前身のような感じ。毛布等はなかったものの枕は備え付けられており、客船の2等船室みたいだが、特別料金なしでカーペット車に乗れるのはありがたかった。

8/24
504函館720(青函連絡船4便)1115青森1137(534D八戸行)1329八戸1345(534レ盛岡行)1556盛岡1608(1540レ一ノ関行)1748一ノ関1801(544M仙台行)1939仙台 宿泊 青函連絡船…船名不明。普通船室は4割程度の乗りで、グリーン船室はほとんどゼロ。普段の姿を見てしまったようで寂しくなる。天気良好で、ダイヤどおりの航行。
534レ…オハ122001(盛アオ)ほか4両編成。青森−一ノ関間は客車鈍行の宝庫だったが旧型の雑客車はすでになく、近郊型に改造された白帯なし12系やレッドトレイン50系が就役していた。盛岡から新幹線を使うと今日中に大阪に帰り着くことが可能だが、むろんそのようなことはしない。
544M…583系改造の711系(仙セン)に初めて乗る。天井の高さと座席は往時のままだが、車内にデッドスペースが多いようで、近郊型としてはしんどい印象。うらさびしい感じもただよっている。

8/25
仙台1142(578M福島行)1311福島1335(136M黒磯行)1538黒磯1612(648M上野行)1653宝積寺1708(333D烏山行)1743烏山1755(340D宇都宮行)1854宇都宮1859(9504M臨時急行くろいそ上野行)2036上野〜東京2325(345M大垣行)車中泊(グリーン) 今日は仙台から東京まで1日かけて移動。途中で未乗の烏山線に立ち寄る。宇都宮からのくろいそは165系で一部指定席。ガラガラかと思っていたら座席が半分近く埋まっていた。大垣夜行は過去何度か乗っているが、旅の疲れもあって初のグリーン車を奮発してみる。もちろんグリーンといえども並ばないと座れないので、1時間半ほど前にホームに立つ。

8/26
656大垣716(223M美濃赤坂行)733(1530M大垣行)734大垣…各停・快速乗継いで大阪着//

まっすぐ帰ればいいものを、赤坂線に寄り道してしまう。
こうして足掛け19日間の旅を終え、これで北海道の国鉄を完全制覇したぞ!と悦に入っていたら、なんと函館本線砂原回りに乗っていないことに気付くというオチが付いていた(~_~;;)→これは2回目の渡道時に真っ先に乗車


一浪のすえ大学に入った年の夏休み。関東以北は未知の土地だった私にとって、
東北地方を飛び越えていきなり北海道、というのは大冒険に等しかった。
連絡船から降り立ち、桟橋を走る人波にもまれながら、
感慨にひたる間もなく「北海」に乗り込んだのが
私と北の大地との最初の出逢いだった。

この旅のあいだに私がしたことと言えば、
ただ毎日、列車に乗って乗って乗りまくったことだけ。
しかしそのことによって、北海道がいかに広く、雄大であるかを
身をもって実感できたような気がする。
この実感は、有名観光地を巡る物見遊山だけでは
決して得られなかったのではないかとひそかに自負しているのだが。


しかし、もし現在の北海道でこのような旅をしたならば、
当時感じたような北海道の大きさは味わえなかったかもしれない。
日程も、もっと短くて済んだだろう。

それを思うと、哀しい。


お世話になった北海道周遊券


駅内ぎゃらりー top