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1日目(7/31・土)
<7/30>自宅−大阪−<7/31>長岡−燕三条−弥彦−吉田−新潟−鶴岡(西鶴岡信・幕ノ内信)−余目−新庄ー大曲

新潟色の113系(吉田)
この夏はどうも気候がおかしい。この時期にしてすでに台風が何個も日本付近を通過し、この日も台風10号が西日本上陸の機会をうかがっている。台風だけではなく、各地でゲリラ的な大雨が猛威をふるっている。実は今日訪問しようとする新潟も、つい先日強烈な豪雨に見舞われ、死者が出るなど甚大な被害を受けている。鉄道不通の情報はないので旅程に影響はなさそうだが、新潟を通るときは心が痛みそうだ。
12両に増結されていた「きたぐに」は定刻に大阪駅を発車、まずは長岡まで定時で走ってくれることを祈る。車内の網棚には大きなリュックサックがずらりと並び、登山列車のようだ。台風が近いのに登山などできるのだろうかと人ごとながら心配する。
一夜明けると、日本海側は気持ちのよい晴天だ。長岡で新幹線に乗り換えて燕三条に至り、ガード下の薄暗い棒線ホームで吉田行列車を待つ。「きたぐに」で東三条乗り換えではこの吉田行に僅かの差で乗り継げず、弥彦着が1時間以上遅くなるので苦肉の策で新幹線を使ったが、2階建てMax初乗りという余得も付いて順調な滑り出しだ。車窓風景は豪雨の後とは思えないくらい穏やかだったが、それは大変な復旧の労苦があってこそであろうし、未だ復旧作業中の区域もあることだろう。被害に遭われた方にはお見舞い申し上げたい。

きらきらうえつ
弥彦往復を無事済ませ、越後線で新潟へ。ホームの立ち食いそばで遅い朝食をとる。象潟行臨時快速「きらきらうえつ」は満員の観光客を乗せて出発。運転席後ろが展望ラウンジになっているので、子どもらとともに前望かぶりつきを試みる。羽越本線は私の最も好きな路線の1つであり、単複線の入れ替わり具合や上り列車との交換・離合、信号場、そして笹川流れなどの眺めを大いに堪能した。指定券を持っていたものの、自分の席にはほとんど座らずじまいだった。
鶴岡に降り立つと汗が止めどもなく出てくる。東北まで来れば多少は涼しいかと思っていたがとんでもない。無茶苦茶暑い。これから鶴岡駅両側の2つの信号場を現地訪問か…そう思うと、より一層汗が噴き出てきて、ゲンナリ君になりそうな気分に襲われた。
観光案内所でレンタサイクルを借りる。バスもあるが本数が少ないので、こちらの方が機動力は数段上だ。ペットボトル飲料を数本買い込み、水分補給に留意しながらペダルを踏む。まず幕ノ内信号場に向かい、列車が来るまで信号場の建物をじっくり観察する。継電器室から「バン!」と大きな音がしたので驚いたが、赤だった下り出発信号が青になっていたので、リレーの動作する音だったのだろうか。ほどなく下り貨物列車が通過。鶴岡付近は12〜13時台に旅客列車が1時間近く通らない時間帯があるので、ここに貨物を集中的に通すダイヤになっているのだろう。幕ノ内から鶴岡へ戻る途中にも上り貨物列車を見かけた。
しかしそれにしても暑すぎる。自転車をこぎ続けていると次第に気が遠くなっていく。もう限界なので、鶴岡駅近くのショッピングセンターに入り、アイスを買って店内でしばし涼むことにした。
分断された奥羽本線(新庄) 20分ほど休んで身も心もクールになったところで、今度は西鶴岡信号場に向けて出発。クルマの多い道路から分かれて新興住宅地をくぐり抜け、線路のたもとに出た。ここでは普通列車と「いなほ」を撮影し、時間に余裕を持たせて引き返すことにする。今日借りたレンタサイクルはあくまで観光用で、少しは市内観光をしないと気がとがめるので、帰りは遠回りをして鶴岡公園などを眺め、駅に戻った。
酒田行普通で余目に行き、久しぶりの陸羽西線で新庄へ。途中の清川駅は交換設備の撤去工事直後で棒線化されていたが、なんと場内・出発信号機が生きていた。信号設備もそのうち撤去されるのだろうが、珍しい光景である。20年ほど前まで陸羽西線はほぼ1駅おきくらいで交換可能だったのが、今や古口だけになってしまった。
新庄駅は奥羽本線山形方面(山形新幹線)と秋田方面それぞれの頭端式ホームを2つ突き合わせたような配線となっている。秋田行普通はロングシート701系の4連で、これで大曲までの2時間弱を過ごさないといけないのかと思うと気が重くなったが、最前部のかぶりつき後方の席に陣取って前を見ていると時間がどんどん過ぎていく。鈍行ばかりになってしまった新庄ー大曲間だが、駅間には閉塞信号機が何本も建っていて幹線の風格をとどめている。及位ー院内間の複線区間では上り列車との離合もあった。ひと駅ずつ丹念に停まりながら大曲に着くと、もう外は薄暗かった。

2日目(8/1・日)
大曲−(志度内・大地沢信)−盛岡−八戸−久慈−宮古−岩泉ー宮古

大曲の田沢湖線ホーム
今日も朝から晴れていて暑くなりそうだ。大曲701発の貴重な盛岡行普通に乗り込む。
言うまでもなく田沢湖線は標準軌なので、かぶりつき前望は何となく新鮮な感じがする。深山幽谷の趣のある田沢湖ー赤渕間は急なカーブが多く、とても新幹線列車が走るとは思えない線形だ。山を下りて赤渕を過ぎると車窓が一変し、少し霧のかかったのどかな田園風景に変わる。新幹線化以前に田沢湖線に乗ったときも小岩井・雫石付近で霧がかかっていた記憶がある。雫石で初めて「こまち」と交換。停車場配線は大半が一線スルー化されていたが、地形の関係か両開きポイントのままの駅もいくつか見られた。
盛岡からは「はやて」初乗りを兼ねて八戸に向かう。私は立席特急券所持なので、空席を見つけて座ったものの、指定券を持つ人が現れたら席を替わらなければならない。実際、盛岡発車直前に食べかけの駅弁を手に席を替わるハメになり、替わった先の席も次のいわて沼宮内で明け渡すことになった。次に替わった席は八戸まで座れたが、こんなに煩わしい目に遭うのなら指定席をとっておけばよかったと思う。

あまりの暑さに口を開け放つ「うみねこ」(八戸)
八戸では1016発久慈行「うみねこ」が発車を待っていたが、リクライニングシート改造のキハ47×2連の車内はすでに満席に近く、しかも非冷房なので蒸し風呂状態だ。席を1つ見つけて着席したものの、座っているだけで汗が滝のように流れる。観光客風の乗客が多そうなので、ひょっとしたら久慈までこの状態で行くことになるのだろうか。
どうなることかと思っていたら鮫でどっと降り、陸奥白浜でも若者の一団が降り、いっきに2割程度の乗車率となる。とともに、窓から気持ちのよい潮風が入ってくるようになる。リクライニングシートと非冷房のアンバランスに最初は愕然としたが、これでは冷房はいらないはずだ。窓を大きく開け、吹き込む風に顔をたたかれていると、非冷房車が当たり前だった頃の懐かしい旅の記憶が蘇ってきた。トンネルに入った時に吹き込む風が生暖かければそのトンネルは短く、冷たければ長いという経験則も同時に思い出した。しかも八戸線は今でも腕木式信号機とタブレット閉塞が健在で、21世紀の今日においてもこんな旅ができるのは全国でもここだけであろう。交換駅ごとにタブレット授受などの様子を撮影し、私にとっておそらく最後であろう非自動の八戸線をしっかりとカメラと心に焼き付けていった。
当初予定では八戸線内のどこかの駅で下車するつもりだったが、それをやると岩泉線が片道乗車となりスタフ授受を観察できなくなるおそれがあるので、結局「うみねこ」でそのまま久慈まで乗り通す。もっと時間に余裕のあるスケジュールを立てればよかったと後悔することであった。

お座敷車両でゆったりと(三陸鉄道)
久慈で三陸鉄道に乗り換え。2両編成のうち前1両はお座敷車両で、空いていたのでそちらに乗ってみる。車内で乗車券を求めると、青春18きっぷ所持者限定の「三鉄1日とく割フリーパス」を発行してくれた。900円(久慈ー宮古間運賃の半額)で北リアス線乗り放題という出血大サービスだが、私は旅程の都合で宮古までの片道乗車だけしかできないのが口惜しい。
お座敷車両の中は掘りごたつ式の座席が並び、「さんりくしおかぜ」と染め抜いた色とりどりの大漁旗が飾られている。大漁旗の多くはスポンサーからの寄贈品で、中には
こんな会社のものもあり思わず唸った。地元の人はお座敷車両を敬遠しているのか普通車両の方に多く乗っているようだった。
窓の外を眺めていると次第に眠たくなってきたので、空いているのをよいことにゴロ寝としゃれこんでみる。外見はあまり格好のよいものではないが、ほとんど抵抗なく横になって眠ってしまった。
宮古では1時間程度待って岩泉行に乗車。紅白の盛岡色キハ52単行で、またもや非冷房車だ。ここでも窓を開け、風に当たりながらの汽車旅に興じる。分岐駅の茂市ではスタフの受け渡しを観察する。日に3本しかない岩泉行だが、途中駅での乗り降りはほとんどなく、茂市から岩泉まで乗り通したのは私を含めて6〜7人程度だった。

ホテルの部屋から花火を鑑賞(宮古)
岩泉では折り返しに時間があるので、駅を出て少し歩いてみた。1面1線のホームには不釣り合いな立派な駅舎が周囲を睥睨している。
岩泉線で来ると岩泉町とは何と山深いところかと思うけれど、町域そのものは小本の海岸部にまで及ぶ「海のある町」だ。ここから宮古に出るには、バスで小本まで行って三陸鉄道に乗り換えるのが岩泉線経由より速くて便利である。岩泉線は当初計画では小本まで延伸することになっていたが、人の流れを考えると本来は小本側から開業させるべきだったのだろう。もちろん、三陸鉄道のなかった当時は既設の山田線から分岐するしか方法がなかっただろうから、現在の線形は仕方のないところではある。
岩泉からの復路は茂市止まりで、往路よりもたくさんの乗客がいる。茂市で宮古行を待っていたらなんと国鉄色のキハ52がやってきて仰天した。快速「リアス」もキハ58などで運用するなど、山田線盛岡口はまさしく国鉄型車両パラダイスだが、ファン受けはするだろうが一般利用者にとっては接客面で不満が大きいに違いない。並行する急行バスに水をあけられ列車本数も極限まで減らされ、これからの盛岡ー宮古間はどうなっていくのだろうか。
再び宮古に戻って来ると、駅前には夜店が出て人々があふれかえっている。近くの広場で夏祭りが催されているためで、ある通りでは道路を封鎖状態にして大漁旗のコンテストをやっている。その道を通らないと今夜の宿に行けないので、拍手と歓声で盛り上がる脇を何とか通り抜け、ホテルにたどり着いた。打ち上げ花火も上がってなかなか豪勢だが、9時に祭りが終わると、賑やかだった町中からは潮が引くように人がいなくなった。

3日目(8/2・月)
宮古ー盛岡ー石越(くりはら田園鉄道)ー仙台

キハ52の「リアス」(宮古)→
サボ 
今日は916発快速「リアス」で盛岡へ出て、東北本線を南下する予定だ。「リアス」は一応山田線の看板列車だからせめて冷房付きのキハ58あたりだろうと思いきや、ホームではなんとキハ52の2連がエンジン音高らかに待機しているではないか。隣のホームには釜石回りの快速「はまゆり4」が停まっていて、こちらは冷房・リクライニングシート付きのキハ110系編成。私は国鉄型車両に好意を持つ人間ではあるけれど、ここまで露骨に格差を付けられると一乗客として苦言を呈したい気分になる。
ともあれ昨日から非冷房車には乗り慣れているので、今回も窓を大きく開けて山の気を楽しみながら盛岡へ向かおうと思う。盛岡ー宮古間は日本最後と言ってよい連査閉塞式の路線だ。外見上は自動閉塞区間とほぼ変わらないが、非自動閉塞なので閉塞取扱駅では駅長が列車の出迎え・見送り(監視)をするところが異なる。途中通過駅の川内でも
駅長の監視を受ける。
区界はその名のとおり分水嶺となっていて、ここを過ぎると川の流れる向きが逆になる。もう盛岡市に入ったとはいえ、まだまだ深い山の中だ。山岸あたりからようやく市街地となるが、列車に乗ってくる人は少ない。上米内からは盛岡の都市交通機関として機能すべき位置にありながら、日に6往復(休日は5往復)しか列車がないとなれば利用したくてもできない。私は単なる一旅行者の立場でしかないけれど、山田線の現状にはどうも歯がゆさを感じてしまう。
盛岡からは、701系などの電車ばかりの乗り継ぎでは面白くないのでちょっと変化を付けてみることにする。まず花巻までは釜石行快速「はまゆり3」に乗車。一昨年まで走っていた急行「陸中」の後継列車だ。花巻で後続の北上行を待つ間に駅弁を買い、待合室のカウンターで食べる。
花巻(左)と一ノ関で買った駅弁 北上からの一ノ関行は間合い運用のキハ100系4連(後部2両は回送扱い)。一ノ関でも駅弁を買って食べる。朝食を取っていなかったとはいえ、食いすぎのような気がしないでもない。
一ノ関から石越までは701系に乗るしかない。ロングシートに腰掛けているよりかぶりつきの方がよほど面白いので、もちろん運転席横に立つ。閉塞信号機が点々と立っているが、もちろんすべて進行現示だ。都市部の高密度路線でYやYGなどがバンバン出るのに比べると平和な路線だと思う。
石越からは、2007年の廃止が決定してしまったくりこま田園鉄道に乗る。栗原電鉄の時に一度乗ったきりなのでずいぶんと久しぶりとなる。車両が変わった以外、駅や施設などはほぼ昔のままで、もちろん非自動閉塞も元気だ。今回は途中下車して写真を撮るので細倉マインパーク前まで行く時間的余裕がないが、電鉄時代に全線乗っているのであきらめがつく。かぶりつきでカメラを回しつつ前望を楽しみ、栗駒で降りる。駅長氏に声を掛けて、信号てこやら事務室内の閉塞機やらの写真を撮らせてもらう。そして駅を出て、腕木式信号機を求めてしばし歩き回る。しかしここも暑いのなんの、汗拭きタオルが瞬く間にぐしょぐしょになった。この旅行中、今まで一体何リットルの汗をかいているのか、想像するのもあほらしいほどよく汗をかいている。
次の上り列車で若柳に向かう。沢辺に近づくと場内信号が停止現示だったので、運転士氏が「何だぁ」と言いながら大きな警笛を一発鳴らし、信号機手前で停車した。交換相手の列車の沢辺到着が遅れていたためで、その列車が駅に停車したのを駅長が確認しててこを倒し、進行現示となった。ここのように列車本数の少ない鉄道では余裕のあるダイヤを組んでいるはずなので、このようなケースは珍しいのかも知れない。
架線を撤去された線路をレールバスが行く(石越) 若柳で降りてくりでん本社を訪ねる。鉄道関係の資料があると聞いていたので楽しみにしていたが、玄関で声を掛けても誰も出てくる様子がない。さりとて黙って侵入する訳にもいかないので、時間の都合もあって本社を後にすることとした。駅近くのタクシー営業所で昼寝していた運ちゃんを起こし、石越まで乗せてもらう。
701系普通列車で小牛田到着。単純に乗り継げばまた701系のお世話になることになるので、ここでは1本待って、気仙沼からの臨時快速「こがね仙台号」を捕まえることにする。キハ28・58改造のジョイフルトレインなので楽しみにしていたが、3両編成のうち自由席は2号車だけで、しかもびっしり満席。うんざりしてデッキで立っていたら車掌氏が「前の展望ロビーなら座ってもいいですよ」と声を掛けてくれた。早速飛んでいくとすでに数人先客がいたものの、かぶりつき部分は空いていたので嬉々としてそこに座る。この区間の前望は初めてで、松島付近の仙石線とのよじれ具合はとても見応えがあった。ただしタイフォンが前面窓の直下にあるらしく、一発鳴らすたびに度肝を抜かれるのには閉口した。かぶりつき席が空いていた理由が分かるような気がしたが、それでも座り続けていられるのは「鉄」の性分か。
仙台駅前のホテルにチェックインし、同好の士であるむらすけ氏と待ち合わせて国分町へ繰り出す。夕方ということもあり涼風が吹き抜けて心地よく、それまでどこへ行っても暑かったのが別世界のようだ。七夕を間近に控えた仙台の夜は、うまい酒と料理と鉄道談義をお供に、あっという間に更けていった。

4日目(8/3・日)
仙台−(面白山信)ー山形ー中川−(北赤湯信)ー福島ー館腰ー仙台空港ー伊丹空港
山形新幹線と仙山線の並列区間に建つ北山形の場内信号機 今日は仙山線からスタート。山形行快速「仙山」は通勤ラッシュとは逆方向なのに立ち客も出るほどの乗り具合。どの駅でも結構乗り降りが多いが、愛子でかなり空いた。仙山トンネルを控える作並では予想どおり運転室後ろの遮光幕を下ろされるものの、左側が下ろされなかったのも予想どおり。トンネル内の面白山信号場を撮影すべく、体勢は少々きついが左側の前面窓から前望カメラを回し続ける。かぶりつきでカメラを構えるだけでも十分怪しいのに、トンネル内で懸命に撮影にいそしんでいる姿を見られれば、職務質問されても言い訳できないだろう。
トンネルを抜けて山を下りると標準軌のレールが寄り添い、北山形で左沢線と合流するとほどなく山形。米沢行に乗り換えて再び前方注視する。山形ー蔵王間の下り線には、貨物列車廃止に伴って三線軌条の内側の1本が撤去された跡が残っていた。
北赤湯信号場訪問のため中川で下車。今日もぎらぎらと太陽が照りつけている。信号場へはここからざっと40分は歩かなければならないだろう。覚悟を決めて国道13号線を歩き始める。広い歩道が整備されていて歩きやすいが、かなりアップダウンがあるしクルマの通行量も多い。歩きながらふと、5月に四国を訪問した際に見かけたお遍路さんを思い出した。
信号場で「つばさ」や普通列車の通過シーンを撮影し、1時間程度の滞在で中川駅へ戻ることにする。周囲は広大な田畑と小さな集落と信号場しかないようなところだが、コンビニが国道沿いに2軒もある。そのうち1軒でカップ入りのカチワリ氷を買い、のどを潤しながら歩く。
ここって信号場…?(矢野目) 米沢行普通列車は5分遅れて中川を発車。北赤湯信号場では、本来なら複線区間ですれ違うはずの下り列車が足止めを食らっていた。全体的にダイヤが乱れているらしく、途中置賜でも10分ほど所定外の停車をした。米沢では乗り継ぎ時間を利用して駅弁を買おうと思っていたが、その暇もなく福島行に急いで乗り移るしかなかった。大沢から赤岩までの区間はかつて4駅連続スイッチバックで名を馳せたところで、現在も各駅には引上線の跡が生々しく残っている。巨大なスノーシェルターの中にあるホームに停車すると昼間でも薄暗く、言いようもない威圧感に襲われる。
福島着1400。ここからはもう帰宅の一途となる。一刻も早く帰ろうとすれば福島空港から伊丹行に飛び乗ればよいが、今回は仙台空港発の便を押さえてあるのでいったん仙台に戻らなければならない。早割予約時の2ヶ月前は旅程がまだ固まっておらず、どこから来るにしても仙台発が最も便利だと考えていたからこの便を押さえたが、まさかわざわざ戻ってまで乗るハメになるとは思っていなかった。
福島から仙台へ向かう普通列車のかぶりつきから、東北線と阿武隈急行の分岐点である矢野目信号場を観察する。分岐点での東北線方の場内信号機が「下り第1場内」となっており、第2場内は東福島駅直前にあった。ということは、矢野目分岐は東福島駅構内扱いとなったのだろうか。しかしそれなら阿武急方はどういう扱いとなるのか…。おそらく矢野目信号場というのは阿武急の信号場であり、JRは分岐点を提供しているだけ、という棲み分けがなされているのかも知れないが、どうも釈然としない。阿武急で卸町まで乗れば信号システムの謎は解決しそうだが、それはまた次の機会に譲るしかなかった。

館腰からバスで空港へ出て、1時間20分程度のフライトで伊丹に帰着。最近の私の旅行は、時間的制約のため行きか帰りかのどちらかが飛行機となるパターンが多く、おかげで飛行機慣れしつつあるが、それとともに距離対時間感覚もマヒしていってるようなような気がする。今回もわざわざ飛行機で帰らなくても、福島から新幹線乗り継ぎで行けば最速4時間半程度で新大阪まで帰着できる。福島から仙台空港までの時間、飛行機の待ち時間、伊丹空港から市内までの時間を考えれば、両者にたいして大きな時間差はなさそうだ。飛行機しかないと思いこみ、新幹線を全く考慮に入れていなかった浅はかさもさることながら、普段から鉄道鉄道と言っているくせに鉄道の力を信用していなかった自分が恥ずかしくなった。


駅内ぎゃらりー