阿佐海岸鉄道と土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の初乗り、四国内にある2か所の信号場巡り

1日目(2004/5/1・土)
自宅−なんば高速BT−徳島−甲浦−奈半利−高知

ゴールデンウイークはどこへ行っても混雑するし何かと煩わしいことが多いので、これまではこの時期に旅行するのを意識的に控えてきた。今回の旅行も、四国へ行きたいという思いは以前から持ち続けていたものの、公私ともにあわただしい日々が続いていたのでズルズル延び続け、今までさんざん忌避してきたGWに行かざるを得なくなってしまった。
今回の旅程は徳島から室戸、高知、土讃・予土・予讃経由で瀬戸大橋を渡って帰るという、四国をほぼ4分の3周するものだが、普通列車利用を基本とし、部分的に特急の自由席に乗る程度のものなので、混んでいたとしても何とかなるだろう。問題は徳島までのアプローチで、徳島に10時半くらいまでには着いておかないと後のスケジュールがうまくいかないので、徳島駅に10時に着く高速バスの早朝便を利用することにした。
早朝6時過ぎに家を出てなんば高速バスターミナルに行くと、今日は2台運行でしかも満席。ここではじめてGWを実感した。しかしこの後、さらにGWを実感せざるを得ない事態に遭遇することになるのだった。


徳島 
私のバスは阪神高速湾岸線を快調にとばしていたが、神戸市内に入るや渋滞し始め、湾岸線から神戸線へ乗り継ぐルート上でまったく動かなくなった。須磨料金所を抜けて渋滞から解放されたときにはすでに9時を回っていて、あと1時間で徳島まで走ってくれたら…と祈っていたのもつかのま、明石海峡大橋手前の距離表示が徳島まであと90キロ近くあることを告げている。私は絶望的な気持ちとともにシートに沈み込んでそのまま眠ってしまった。
結局バスは10時50分徳島駅に到着。乗る予定だった1036発海部行はもちろん見る影もない。どうせ遅れるならもっと盛大に遅れてくれた方がかえってすっきりするが、この程度の遅れは精神衛生上極めてよくない。
次の海部方面行きは1229発だ。まだ時間はあるが、甲浦までの乗車券と「安芸・室戸フリーきっぷ」を買い求めて入場すると、立派な駅ビルには不釣り合いな昔ながらの駅構内が広がる。見上げれば架線に邪魔されない青空が広がる。変な話だが、私はディーゼルの排気臭が好きで、これで一気に旅の気分が盛り上がる。この気持ちを分かってくれる人は多いのではないだろうか。
1番ホームのキヨスクには「阿波尾鶏弁当」ののぼりが立ち、なんと徳島駅からなくなったはずの駅弁が売られているではないか。さっそく800円の「阿波地鶏弁当」を買い、ホームのベンチで往来する列車を見ながら平らげる。照り焼きの身が大きく、なかなかに食べごたえがあった。

阿佐海岸鉄道・宍喰 
ところで、ちょうど今JR四国が「アンパンマン列車スタンプラリー」を展開している。主要駅やアンパンマン列車内にあるスタンプを集めていくもので、私も娘への土産にするためにスタンプ集めに興じることとした。こんなことを言うと不謹慎かも知れないが、四国八十八か所詣りも一種のスタンプラリーみたいなものだ。まず徳島駅で1つ捺し「鉄道お遍路」を始めることとする。
牟岐線の印象は、何回乗ってもとろりとろりという感じで、穏やかな陽気と眠気のなか、あっという間に牟岐に着いてしまった。乗り換えて海部に至り、ここからは阿佐海岸鉄道の初乗りだ。海部駅はごく一般的な2面2線だが、1番線が牟岐線、2番線が阿佐海岸鉄道のそれぞれ専用ホームになっているようだった。
たった2駅のミニ路線だが、もちろんかぶりつきから前望する。途中の宍喰では、列車交換はないが折り返し列車が多く設定されており、どんな配線なのか前々から興味があったが、本線が棒線でありながら場内・出発信号を備えた閉塞境界駅であった。もっとも、車両基地への分岐があるので純粋な棒線駅ではないが、とりあえず列車運行形態の謎は解決した。
甲浦に着くと、30人ほどいた下車客は迎えの車などで三々五々散っていき、室戸経由の高知東部交通バスに乗り継いだ客はわずか数人であった。歌の文句じゃないけれど、岬めぐりのバスの車窓から青い海を眺めていると、随分遠くへ来てしまったような感じがした。

ごめん・なはり線 
しかし驚いたのは、クルマがびゅんびゅん走る国道を歩くお遍路さんが随所で見られたことだ。老若男女問わず、クルマやバスなど眼中にないかのように黙々と歩いている。最近は八十八か所を効率よく回るバスツアーもあるが、お大師さんとの「同行二人」であるからには地道に歩いて回りたいという信念の人も多いのだろう。いつも列車やクルマで安楽な旅行をしている私にはとてもできそうにない。
奈半利駅でバスを降り、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線に乗り継ぐ。10人ほどの客を乗せた単行気動車は、まだ新しい高架のレールを丹念にたどってゆく。ここでも驚いたのは交換駅の全てが一線スルー構造になっていることで、その気になればかなりの高速運転が期待できるのではないだろうか。車内吊り広告には「日本最後のローカル線」とうたわれているが、ローカル線とは思えない高規格路線で、快速を走らせているだけではもったいないと思う。
線路に沿って遊歩道がつかず離れず並行している。これは1973年に廃止された土佐電気鉄道安芸線の跡と思われる。海岸ギリギリを通っているところもあって、潮風に吹かれながらの路面電車の旅もまたよかったのではないかと思いを馳せる。
いつの間にか車内は満員となっている。後免町で土電の電車をちらと見て、わが列車は土讃線後免駅に滑り込む。もうとっぷりと日は暮れた。久しぶりに土電伊野線の通票区間を見に行く予定だったが、あきらめた。再訪を誓いつつ、おとなしく高知駅前のホテルに投宿。

窪川
 

2日目(5/2・日)
高知−窪川−家地川−川奥信−宇和島−伊予大洲−伊予若宮信−五郎−松山

今日は「四万十・宇和海フリーきっぷ」を使うので特急に乗れる。高知819発「しまんと1」に乗り込むと自由席はさらりと埋まる程度だった。朝倉、伊野付近で土電伊野線の線路が目に入るが、特急はそれを振り切るように快走する。停車駅ごとに非自動時代の痕跡を探してみても、自動化されて20年近く経つせいかそれらしいものはほとんど見あたらなかった。
窪川では1003発宇和島行の待ち時間にラリーのスタンプを捺しに行く。しょくぱんまんの図柄だ。高知はメロンパンナちゃんだった。
宇和島行列車ではもちろん前望かぶりつき。若井を過ぎ、長いトンネルを抜けるとすぐ川奥信号場だ。交換もないのになぜか出発信号で停められたが、すぐ進行となり発車。家地川で下車し、川奥信の現地訪問を試みる。地図を見ると家地川駅から信号場まではざっと3キロ程度、しかも後半はつづら折れの山道で、かなりハードな道程が予想される。撮影を予定している列車交換まであと45分しか時間がない。


鯉のぼりの川渡し(十川付近) 

ゆるい上り勾配の道を20分ほど歩くと低い峠にさしかかる。ここで佐賀町から窪川町へ入るやいなや、下り坂のつづら折れとなる。行きは楽だが帰りが怖い。トントンとリズミカルに坂を下りると急に視界が開け、信号場の窪川寄りの踏切に出た。予想より早く、家地川駅から35分で到達した。
列車の交換と通過シーンを撮影し、早めに切り上げて家地川駅へ戻ることにした。あの坂を今度は登っていかなくてはと思うと気が重い。できるだけゆっくり、ハイキング気分で歩くことにしよう。山の気を味わいながらのんびり登っていくと結構歩けるもんだ。息切れも疲れもなく町境の峠まで戻って来れた。山の景色や田畑の様子や家のたたずまいなど、歩いてこそよく見えるものがいかに多いかを改めて感じる。復路はゆっくり歩いて45分だった。
次の宇和島行を待っていたら窪川行列車が入ってきた。単行気動車の後ろにトラを改造したトロッコ車両を連結している。次に乗る宇和島行はこのトロッコ列車と川奥信で交換してくるダイヤになっている。
ほどなく来た宇和島行でも貫通扉から前望を楽しむ。よく歩いて足はだるいが、かぶりつきなら立っていても平気だ。途中、四万十川を跨いで多数の鯉のぼりが泳いでいるのが見えた。十和村の「鯉のぼりの川渡し」という恒例行事だそうで、なかなか壮観だ。

五郎を後にするキハ185 
宇和島からは「宇和海18」で伊予大洲に至り、伊予若宮信号場を訪問することになっている。しかもこの列車は「アンパンマン列車ばいきんまん号」なので、車内でも備え付けのスタンプを捺せる。別にわざわざ狙って乗っているわけではないが、スタンプの数が増えると思わずほくそ笑んでしまう。
伊予大洲からは海線経由松山行で五郎まで行く。その間にかぶりつき前望から伊予若宮信の分岐の様子を撮影する。キハ185の普通列車向け改造車だったので喜んで乗ってみたが、シートは向かい合わせで固定され、車内も薄汚れていて、なんだか哀れな気分になってしまった。五郎には2面3線時代のホームが雑草に埋もれながらも残っており、非自動遺跡と思われる物件も発見できた。
復路もキハ185鈍行で伊予大洲に戻り「宇和海20」で松山に向かう。先頭車は自由席なので、心おきなく前望が楽しめる。今日3度目の伊予若宮信を高速で通過し、新谷で交換待ちをした以外は途中駅を一線スルーで思いっきり飛ばしていく。宇和島から伊予大洲までは一線スルーの駅などなく、とろとろ走っていたのがまるで別人のようだ。怖いくらいのスピードで伊予市に着くと、対向の普通列車待ちで4分、北伊予でも特急待ちで4分停車。松山を目の前にしてどれほどじれったく感じられたことか。
松山駅前のホテルにチェックインして荷物を置き、食事をとろうと電車で大街道へ行ってみた。道幅の広々としたアーケード街をほっつき歩いてみたが閉まっている店が多く、開いている店も混んでいそうだったので店選びも煩わしくなり、鮮魚屋でカンパチか何かの造りを買って、ホテルの部屋で食べた。

改めて外観を見るとかなりケバい(今治) 

3日目(5/3・月)
松山ー今治ー川之江ー宇多津ー岡山ー相生ー姫路ー大阪

今日は1日かけて家に帰ろうと思う。松山から大阪市内行きの普通乗車券と今治までの特急券を買って「しおかぜ10」に乗る。アンパンマン列車でもあるので車内スタンプを捺す。運転席後ろでかぶりつくことができるのは2000系気動車のありがたいところだが、ふと8000系特急電車にはまだ乗ったことがないことに気づいた。
並行道路を走るクルマをどんどんゴボウ抜きしていくのは実に気持ちがよい。途中、元信号場の大浦駅を通過するときは前望カメラを構えて撮影した。ホームが副本線上にしかない変形1面2線の配線は、信号場の面影を色濃く残している。
かぶりつきを堪能して今治で下車。今治で降りたのはここまで特急料金が510円ということもあるが、駅弁を買いたかったからでもあった。四国内の駅弁販売駅はめっきり減ってしまい、初日の徳島を含めても現在7駅しかない。そのうち予讃線は高松、川之江、今治、松山、宇和島の5駅を占めている。
出口を出たところにある販売店には何種類かの弁当が並んでいた。私は「鯛めし弁当」を購入し、次の伊予西条行普通列車の中で食べた。

川之江の「いなり寿し」


 

伊予西条で乗り換え、新居浜でスタンプを捺すために降りる。スタンプも最初は単なるお土産のつもりだったが、集めるうちにだんだんと執念を帯びてきた。恐ろしいものだ。
伊予三島あたりから製紙工場が目立ってくる。工場が線路の両側に迫り、まるで構内を走っているような雰囲気のところもあった。このあたりは現在、いくつかの市町村が合併して「四国中央市」という壮大な名前の都市となっているが、今まではトイレットペーパーや紙製品で伊予三島、川之江の地名を見慣れていたのに、全くピンとこなくなってしまった。
次なる下車地は川之江で、大きな駅とは言えないものの、貴重な駅弁販売駅だ。待合室のキヨスクに数種類の駅弁が置いてあったので、包み紙にヒモ掛けという最も駅弁的な外観の「いなり寿し」を買う。やや甘ったるい小振りの寿司が7個並んでおり、3分程度で平らげた。なお、ここの駅弁は駅前の「太平食堂」が製造しており、キヨスクの委託販売のほか同食堂でも買える。
さらに観音寺で乗り継いで多度津へ。場内信号で停められたのであれ?と思っていると入換信号機が点灯し、臨時「いしづち」の停まっている番線に入線し、手信号で寸止め停車した。多度津は忙しい駅なので、同一ホームに2本の列車を押し込むのも日常茶飯事なのだろう。ここもスタンプ駅なので捺しに行く。

今や希少価値の高くなった「こだま」 
多度津から丸亀に行き、昼食をとったり土産を買ったりしたのち、岡山行普通列車で四国とはおさらばすることにした。列車で瀬戸大橋を渡るのにはもう慣れたと思っていたが、やはり窓の外の景色に目を奪われる。人の住む大きな島があれば、木々をちょこんと頭に載せた無人島もある。橋桁の土台となってしまった島もあれば、橋のルートから若干はずれただけでそれを免れた島もある。船からの視点と橋からの視点は大いに異なる。上から島々を見下ろしながら、人間はちょっとおごり高ぶりすぎてるなぁと、普段思わないことを思ったりした。
この列車は児島で30分以上も停車するので、後続の「マリンライナー」に乗り換え。茶屋町から岡山まではまだ単線部分が残っているものの、駅構内の交換部分を延長して簡易複線のようにするなど、以前に比べてかなりの改良が加えられている。
岡山駅にもラリーのスタンプがおいてあり、最後の押印をする。鈍行乗り継ぎもややしんどくなってきたので相生まで新幹線を使った。姫路では名物駅そばがタイムサービスで200円だったので、たくさんの人々に混じって独特の白いそばをすする。いつもながら私の旅行はエンゲル係数が異常に高い。
私の旅の最終ランナーは新快速であることが多く、ここが非日常と日常の転換ポイントのようになっている。自宅が近づくにつれ、子どもがもう少し大きくなったらアンパンマン列車に乗りに連れてこようか…と、いつしか私は万年鉄道少年から父親に戻っていた。