日  程 2003年8月17〜20日

目  的 くま川鉄道訪問と熊本・大分・宮崎・鹿児島各県内の全信号場めぐり


81歳の長老機関車、大奮闘(三里木)

1日目(8/17・日)
自宅−伊丹空港−熊本空港−肥後大津・三里木−宮地−豊後竹田(下郡信)−大分−津久見−徳浦信−佐伯

今回は往復ともに空路を利用する。本当はどちらかを列車にしたかったが、マイレージが貯まっていたので初めて特典航空券の恩恵にあずかることとした。早朝6時過ぎに家を出て伊丹空港へと向かう。大阪は曇り空で今にも降り出しそうな気配だが、週間予報によると九州はおおむね好天のようだ。伊丹では離陸の順番待ちに時間がかかり、熊本には定時より20分も遅れて940に着いた。豊肥線の蒸機列車「あそBOY」には1058発の肥後大津から乗るつもりなので時間に余裕はあるが、空港から九州産交バス「やまびこ号」に飛び乗るとわずか15分で肥後大津駅南口に到着してしまった。時間つぶしを兼ね、肥後大津から2駅熊本方面に戻って三里木から「あそBOY」に乗ることにする。指定券は熊本からにしてあるので大丈夫だ。
ホームで待っていると、ハチロクが50系改造客車3両と補機のDE10を従えて堂々の入線。先週は故障のため休んでいたとのことなので、まずは元気な姿にほっとする。指定された席は通路側で、たぶん団体の売れ残りに当たったんではと不安だったが、案の定家族連れグループの一角で、私の席にも子どもが座っていた。父親らしき人が子どもをどけて「すいません、座ってください」と言ってくれるが、座っても居心地が悪そうだし、前後の展望室で立ってる方が面白そうだったので、席はその家族に譲って1号車の展望室へ行くことにした。


補機DLにこんなものが
上り勾配区間にさしかかると機関車は煙を目一杯吐き出すが、どうも列車を「牽いている」という感じがしない。ほとんど補機の推進力で走ってるのではと思うほど、力強さにとぼしい。偏見かも知れないが、病み上がりのご老体はかなり痛ましく思える。複雑な気持ちで展望室の車窓を眺めているとさっきの親子がやってきて、私を見て再び「すいませんねぇ」と言った。
立野に着くと、乗客はいっせいに降りて大撮影会の始まり。私も蒸機を数カット撮ってから最後部のDE10を撮りに行くと、なんとタブレットキャッチャーが残っているのに大感激。スイッチバックも何とかあえぎながらクリアし、雄大なカルデラの中をたんたんと走る。阿蘇で大部分が下車し、3割くらいの乗車率となる。
宮地でキハ31単行に乗り換え。もちろんかぶりつきで前方を注視する。豊後竹田までは豊肥線で最も列車密度の低い区間で、線路内外には雑草が生い茂り、廃線跡を思わせるような所もあった。
豊後竹田では乗り継ぎに時間がある。JTB時刻表8月号には「たかな飯」などの駅弁案内が記載されているので、ホーム売店で尋ねてみると「駅弁はもうやめました」とにべもなく言われた。時刻表欄外の駅弁案内は古いものが多く、特にJTBは巻頭ページで「駅弁細見」を連載しているだけに、本文中の小さな駅弁案内にも気を遣ってほしいものだ。
早めに大分行に乗り込んで発車を待っていると、急に土砂降りの雨が襲ってきた。その中を「あそ4」が到着。この雨で不通になって閉じこめられたりはしないだろうかと心配になる。

急行型電車最後の働き場か?(大分)
列車は豊後竹田を定刻に発車、大分に近づくにつれ雨も上がってきた。犬飼あたりから車内は満員状態となり、座っていた私はかぶりつきへ移動した。雨粒の付いた前面ガラスを通して下郡信号場を撮る。
大分からの南延岡行は457系の3連。客室は近郊型っぽく改造されているとはいえ、急行型車両の雰囲気は十分残っていて、懐かしい気分になる。例により運転席後ろから前方を見ていると、日豊線の駅の配線は昔ながらのものが多く、一線スルー化された停車場もほとんどないことに気づく。
徳浦信号場での交換風景を前望カメラに収め、今度は現地を訪れるべく津久見で下車。臼津(きゅうしん)交通バス堅浦行は私1人を乗せて駅を後にした。地図では、徳浦への道はセメント工場の中を通っているように見えるので、一体どんな道なのか興味を持っていたが、実際走ってみるとまさに工場の構内道路のようで、圧迫感のある巨大な建物の間を狭い道が延々と続く。トンネルもある。実は日祝ダイヤではこのバスで徳浦まで行ってしまうと帰りのバスはなく、復路は歩いてもいいやと軽く考えていたが、こんな道とは思っていなかった。
徳浦バス停で160円を支払って下車し、臼杵への山越え旧道を汗をかきかき歩く。左手に日豊線の架線柱が見えたところで草ぼうぼうのケモノ道のような分かれ道に入り、しばらく行くと線路をくぐるトンネルがある。中は真っ暗でしかも大きな水たまりがあり、気味の悪いことこの上ない。ここを過ぎると信号場の臼杵寄りのところに出た。
徳浦信号場は集落からかなり高いところにあり、遠くにセメント工場の煙突と建物が見える。あとは見事に山の中だ。

左下の暗がりが徳浦信号場への出入口
下り普通列車の通過と特急同士の交換風景などを撮影ののち、信号場から撤退することにした。しかしあの道を歩いて帰らなければいけないと思うと、急に足取りが重くなる。
徳浦バス停でもう一度バスの時刻を確認する。やはり今日はもうバスがない…。とぼとぼと駅に向かって歩きはじめる。途中に100メートルほどのトンネルがある。クルマが走り去るたびに走行音がトンネル全体に響き、生きた心地がしない。この先は工場構内の圧迫道路と、さらに長いトンネルが待っている。そんなところを歩くのはもうごめん…と暗澹たる気持ちになっていると、客を乗せた1台のタクシーが徳浦方面に向かって走っていった。あのタクシーがどこかで客を降ろすと、この道を通って津久見駅に戻るはず…私はかすかな光明を見いだし、常に後方を気にしながら歩き続けた。
はたして、工場構内付近を歩いているとあのタクシーが空車で戻ってきたではないか。私はヒッチハイクのように両手を大きく振ってタクシーを停め、息を弾ませて乗り込んだ。運転手氏が神様のように見える。バス停でいえば「第二工場前」停付近だった。
運転手氏もこんなところから乗る客がいるとは少し驚いていた様子で「どこ行ってきたの」などといろいろ聞いてくる。まぁちょっと…などと生返事をしているうち、両足のふくらはぎがコムラ返りを起こしそうになったので、必死で足を突っぱねながら運転手氏の世間話に相づちを打つ。津久見駅に着き800円支払って下車。バス代の5倍だが、不思議に高いとは思わなかった。歩かずに済んだうえ予定より1本早い列車に乗れ、佐伯には40分も早く着いた。駅前の結婚式場兼用のホテルが今夜の宿。部屋に入るとまずベッドの上に腰掛け、両足のマッサージをした。

閉塞信号機と交流セクション(直見−直川間)

2日目(8/18・月)
佐伯−(川原木信)−宮崎−都城−楠ヶ丘信−門石信−隼人

今朝の佐伯はやや雲があるものの、陽が差してまずまずの好天。749発の南宮崎行2733Mは今回3度目の457系。ここから延岡までは18キッパー泣かせの区間として有名だ。もちろん今度も運転席後ろでかぶりつく。直川を出て第1閉塞信号機を通過すると、川原木信号場撮影に備えてカメラを構える。列車の振動がけっこう大きいので、足を踏ん張ってブレが少なくなるようカメラを支持し続けるのが大変だ。信号場を通過し、撮影内容を見直そうとテープを巻き戻すと、徳浦信号場の映像が出てくる。戻しすぎたかなと今度は早送り再生してみると、徳浦の映像の後には何も映っていない。しまった!!カメラを構えるのに一生懸命になって、録画ボタンを押すのを忘れていたに違いない。液晶モニタ左上には「スタンバイ」「録画」の表示が出て、テープが止まっているか回っているかが判別できるのだが、そこまで目がいっていなかった。何たる基本的ミス…もう川原木を通る予定はないので、悔やまれて仕方がない。悔しくて仕方ないものの、テープが回っていないのに必死で足を踏ん張ってカメラを構えていた自分が可笑しくもあった。そんなこともお構いなしに、列車は乗降客のほとんどいない駅に律儀に停車していく。


黒地に白文字の九州型ロール幕表示板も健在(延岡)
この列車は延岡では36分も停車し、その間に京都からの「彗星」に道を譲る。1番線にはたくさんの人々が並んでいる。夏休み期間というのにたった4両の「彗星」はそれらのヒルネ客を乗せて発車していった。ヒルネのために走っているのではないかとさえ思えてしまう現状が哀しい。
延岡以南は乗降客が増え、車内が賑やかになる。不思議なことにほぼ全ての駅で同時多発的に何かの工事をやっている。都濃付近のリニア実験線はこのまま朽ち果てるのを待つかのように延々とたたずんでいる。
宮崎に着き、駅弁を買って次の列車を待っていると、またもや急に大雨が降り出した。これから山間部に分け入っていくのに天候がこうでは心もとないが、サンシャイン編成の西都城行6949Mが発車すると雨は次第にやんできた。サンシャインは前望が非常にやりづらい車両だが、門石・楠ヶ丘両信号場を撮影すべく田野からかぶりつきに立ち、今度は確実に録画ボタンを押し確実にカメラに収めた。
都城に降り立つと焼けつくような夏空に戻っていた。これからはレンタカーを使って、日豊線の3つの信号場を現地訪問する予定になっている。レンタカー営業所で手続きをしてクルマを借り受ける。軽自動車で予約していたのが、車両の都合が付かなかったとのことで、差額なしでリッターカーを用意してくれた。もっとも走行距離9万キロを超える老朽車だったが…。

楠ヶ丘信号場への道なき道
都城市街から国道269号線を宮崎方面へ向かう。山之口駅前を過ぎて山間に入り、2.5万分の1地形図を頼りに、鬱蒼とした木立の中の林道をしばらく走るうちいつしかダート道となり、本当にこの道でよいのか心細くなってくる。と、突然道が二股に分岐し、その間に楠ヶ丘信号場」と記した札が立っているではないか。立札の示す方向は簡易舗装がしてあるものの恐ろしく急な下り坂、しかも路上には大きな石がごろごろ、両脇からは草ぼうぼう。ええいままよと、強引にクルマを突っ込んでしまった。借り物なのに…。
そろそろと坂を下り、再び登ると信号場の真ん前に出た。複線の線路をはさんで立派な小屋(駅舎)が建っている。新興住宅地を思わせるような優美な名前とは裏腹に、鉄道施設以外に人工物が一切見あたらない、秘境という言葉そのもののたたずまいだ。撮影を済ませてクルマのドアを開けると、大きなアブが2匹も車中に飛び込み、追い出すのに無駄な時間を費やした。
来た道を戻り、
国道269号線に出てさらに東へ向かう。次は門石信号場だが、先ほど列車の中から見た限りでは楠ヶ丘に勝るとも劣らない秘境度と思われる。国道からそれて集落の中を北上し、信号場と思われる場所に来たものの単線の線路が延びているだけ。どうも地形図上で目星を付けた位置が違っていたようだ。地形図には信号場など描いてくれていないのでカンが頼りの部分が大きく、楠ヶ丘は首尾良く一発でたどり着けたが、ここは見事に外れた。もう一度地形図を見直すと、線路際に建物の表記のある信号場らしき場所があった。が、そこに至る道が地形図上には描かれていない。

信号場への道は遠く険しい(門石)
とりあえずその付近までクルマを走らせてみると、地形図にない道が分岐していた。方角からして門石信号場の方へ向かっている道であることはほぼ間違いないが、なんとひどい道か。中央部が盛り上がってその上に雑草が生い茂り、クルマの底を擦りそうな感じだ。しかも雨でどろどろ。本来ならここにクルマを止めて歩いて行くべきだろうが、どのくらいの距離があるものか分からないし、撮影予定の列車交換の時間も迫っている。で、結局ここもクルマを乗り入れてしまった。借り物なのに…(再)
3分くらい走ると線路際に出た。遠くに場内信号機が見え、そのまた先に信号場が見える。しかしここから道はいっそう細くかつ険しくなるので、クルマを降りて歩くことにした。200メートルばかり歩いて場内信号機のたもとに出るが、その先は深い谷をまたぐ鉄橋だ。もう進めないので、鉄橋の手前から望遠で信号場を撮影した。撮影後は、こんなところで長居したくないので急いでクルマに戻り、逃げるように走り去った。
国道へ出て鹿児島方面に向かって走る。明朝の南霧島信号場訪問に備え、今夜は隼人で泊まることにしている。某メーカー系列の巨大なホテルが今夜の宿で、普段ビジネスホテルにしか泊まらない私にとっては高級感がある。クロークの男性が私の荷物を持って部屋まで案内してくれた。ルームメイキングの行き届いた部屋の中でぼーっとしていると、憎たらしい信号場どものために雑草にからまれクモの巣にひっかかり泥に足を突っ込みながら山中を徘徊していた人物は本当に私だったんだろうかと、ヘンな妄想に浸ってしまった。
信号場の代わりに霧島からの眺めをどうぞ

3日目(8/19・火)
隼人−南霧島信−都城−隼人−吉松−人吉−湯前−人吉

今朝は8時半に出発しようと決めていたが、ゆっくり寝ていたい気持ちもあった。門石と楠ヶ丘の「惨状」を目の当たりにして、南霧島信号場に行く気がかなりそがれたのも事実だ。とにかく今日の13時30分までに都城に戻ればいいから、それまで温泉巡りでもして、南霧島は現地訪問をやめて列車前望だけでお茶を濁しておこうかとも思った。だが、7時には目が覚め、身支度も30分で終わり、8時前にはクルマの中にいた。そしてなぜか自動的に南霧島めざして走り始めていた。
驚いたことに2.5万分の1地形図「日当山」には、駅の記号とともに南霧島信号場の名称が記載され、破線ではあるがそこへの道も記されている。昨日の2か所に比べれば何と心丈夫なことか。信号場に至る畑の中の道を走っていると心が開放的になり、思わずハミングしてしまう。
日豊線の短いトンネルの真上に差しかかると、地形図のとおり細い林道が分岐している。これを1キロ程度行けば信号場だ。今回はクルマの無理な乗り入れは自粛し、分岐点の脇に駐車して素直に歩くこととした。相変わらず草やら木の枝やらが道の両側から盛大にはみ出しているが、こんなものはたいした障害ではない。道がぬかるんでいるものの、これも気にならない。大自然の新鮮な空気を肺の底いっぱいまで吸い込みながら、気分も晴れやかにルンルンハイキングだ。やけくそと言われようが何と言われようがいっこうに構わない。
草木の茂り方が派手になり、さすがにだんだん歩きにくくなってきた。ふと足元を見ると清涼飲料水の空き缶が転がっている。ポイ捨てそのものは不快だが、こんな道で人の訪れた形跡に触れたことに、なぜかほっとする。


この温泉もなかなかの秘境だ
左へ大きくカーブしたところで、道が二股に分かれている…というか、これらは道と言えるのだろうか。右は、背の高い雑草にびっしり覆い尽くされたケモノ道。左は、20メートルほど先で道が大きな水たまりの中に消え、沼のようになっている。私のカンでは左に行くべきだと思うのだが、そんなこと以前に、前進自体がもはや不可能だ。これだけ完璧に行く手を阻まれたら、かえってさっぱりといさぎよく引き返す気になる。クルマに戻ると、撮影を予定していた列車がトンネルを抜けて鹿児島方面へ走り去っていくのが見えた。
まだ9時過ぎなので、都城へ戻るまでの間にどこか温泉へ入りに行こうと思う。県道を北東に進み、霧島神宮の大鳥居に突き当たって国道223号線に入り、霧島温泉郷へと向かう。近くにある新川渓谷温泉郷のひなびた風情とは対照的に、霧島温泉郷は大きなホテルが多くて予想以上に観光色が強い。一方で、明礬(みょうばん)温泉のような小さなところは廃泉同然となっている。私はその中でも奥まったところにある新湯温泉に向かった。国民宿舎の浴室は半露天風呂といった感じで、硫黄系の沈殿物が浴槽の内側一面にへばりついている。一浴ののちタオルで体を拭きシャツを着ると、タオルもシャツもいっぺんに硫黄臭くなった。
霧島山の裾野を国道と県道で一周し、西都城駅弁の「せとやま」に立ち寄って昼食を調達する。現在は都城駅弁も「せとやま」だが、以前都城駅では別の業者が駅弁を売っていた。隣り合う駅同士で別々の駅弁業者が入っていたというのは驚きだ。
ガソリンを満タンにしてクルマを返却。走行距離は214キロだった。予定では都城から吉都線で吉松へ抜けることになっているが、南霧島信号場に前望撮影でリベンジしなければならないので、隼人経由で吉松へ向かうこととした。

真幸のスイッチバック
都城1245発6947Mに乗り込み、かぶりつきから南霧島信号場の通過シーンを撮影する。やっととっちめたという感じだ。隼人で吉松行4230Dに乗り継ぐ。大隅横川ではホーム上になんとスパイラル型の通票受器が残されていた。JR九州から非自動閉塞が消滅して随分になるが、初日のDE10のタブレットキャッチャーといい、ところどころに遺物が見られるので目が離せない。
吉松からの「しんぺい」はキハ31単行で、前望にはもってこいの車両だ。この列車は観光列車との位置づけで、乗客は確かに汽車旅風の人が多い。走行中はテープで車窓案内を流すようで、運転席の運転時刻表の下にはテープのスイッチを入れるタイミングを記した表が置かれていた。
列車はゆっくりと走り出し、まずスイッチバックの真幸で4分停車。車外へ出て配線や信号機を観察する。子どもらが「幸せの鐘」をガンガン鳴らしている。
真幸を出てしばらく走ると、日本三大車窓のひとつである霧島連山を望む位置で停車。運転士氏が客席にやってきて車窓風景についていろいろ説明する。数分停まったのち、こんどは矢岳トンネルにまさに入ろうとするところで再び停車。坑口上部に掲げられた「引重致遠」の石額の説明がテープで流れ、かぶりつきにいる子どもらに運転士氏がいろいろ話しかけている。普段ならすっと通り過ぎてしまうものがじっくり見られるので結構楽しいが、事故で立ち往生してしまったような気分にもなる。
矢岳では8分停車。駅の隣にある人吉市SL展示館へ皆で見学に行く。倉庫のような薄暗い建屋の中にD51とともにタブレット閉塞機などが保存されていて興味深かった。ここでも運転士氏が乗客の質問にいろいろ答えており、なんとサービス精神旺盛な人かと感心する。

くま川鉄道(左)と肥薩線が分かれる

ループ線途中の、下方に大畑駅を見下ろす地点でも停車し、くるり回ってスイッチバックして大畑で5分停車。青い毛筆書体の行灯駅名標と、朝顔型の水盤も健在だ。大畑は一度降りてみたかった駅なので、短い時間だったがおおいに満足した。
一気に山を駆け下りて人吉に着き、ここからくま川鉄道で湯前まで往復する。ホームの陸橋を渡るとくま川鉄道の駅事務室があり、湯前までのきっぷを求めると、なんと補充片道券が発行された。駅事務室内に鎮座するタブレット閉塞機も撮影。そのうち湯前からの列車が到着し、タブレットがやり取りされる。輪の大きな九州型キャリアが今も使われており、嬉しくなった。
折り返し湯前行が人吉を発車。駅を出てすぐ肥薩線と合流するが、鉄橋を2つ渡ると分岐し、次の相良藩願成寺手前までしばらく単線並列が続く。唯一の交換駅である免田に進入するとATSの警報音が鳴り始めるが、その音色は構内踏切の警報音のような電子音だった。免田でのタブレットとスタフの扱いをカメラに収める。
大きなモニュメントのある湯前に到着。駅舎自体は昔のままだが、隣には物産店やコミュニティスペースのある新しい建物が出来ており、線路をはさんで反対側には公園が整備されていた。折り返して免田で再び通票扱いを撮影し、薄暗くなった人吉に到着。駅の時刻表によると、朝の人吉619発3Dとその折り返しの湯前734発4DはJRの急行「くまがわ」車が使用されるとのことで、JR車と通票の組み合わせが見られるわけだ。
駅から徒歩5分くらいのビジネスホテルに投宿。私は一人旅ではめったに酒を口にしないが、ビアガーデン飲み食べ放題付の格安プランだったので、さっそく行ってみる。九州最後の夜なので思い切り飲むぞーっと意気込んでジョッキを1杯空けると、ぱたっと飲めなくなってしまった。あとはウーロン茶やジュースをお供にひたすら食べまくった。

九州新幹線が走ろうとする時代に未だ国鉄旧型行灯が

4日目(8/20・水)
人吉−八代−水俣−初野信−(赤瀬川信)−西鹿児島−国分−鹿児島空港−伊丹空港−自宅

人吉758発1226Dに乗るべく7時半にホテルを出て、駅弁「栗めし」を買い車内で朝食とする。
列車は球磨川に沿ってとろとろと走り、こちらもとろとろと眠くなってきた。途中駅から少しずつ乗客があり、坂本でキハ40単行の車内はほぼ満員となる。新幹線の真新しい高架をくぐり、鹿児島本線をくぐって八代に到着。04年3月の新幹線開業とともに八代−川内間は「肥薩おれんじ鉄道」に移管されることになっており、おそらく今回がJRとしての乗り納めになるだろう。次の水俣行6337Mも457系3連で、この車両も乗り納めかも知れない。
日奈久から海岸線をたんたんと走る。天草諸島が間近に見える。この区間は今までに何回も乗っているはずだが、こんなに景色の良い路線だったとは…と改めて感じた。津奈木を出ると、いつものごとく前望カメラを構え
初野信号場に備える。
この列車は初野で「つばめ10」と交換するので都合がよい。場内中継信号を見て右にカーブを切ると正面に白い高架が現れた。さらに進むと建設中の新水俣駅が偉容を現すが、なんと信号場とぴったり寄り添っているではないか。初野信号場は新水俣駅として生まれ変わるに違いない。信号場が駅に昇格するのは珍しい話ではないが、いきなり新幹線接続駅というのは過去に例があっただろうか。これぞまさしく2階級特進、信号場界のシンデレラボーイと言えるだろう。九州新幹線乗車の際には、ぜひ新水俣で降りてみたいと思う。
その初野信号場を現地訪問するには水俣から九州産交バス八代行か津奈木行に乗って「上初野」で下車するのが最も近いが、あいにく時間が開いているので、すぐに来た大川行に乗って鹿児島線ガード下の「田子の須」というバス停で降りる。


新幹線の駅舎に圧倒される
ここから10分も歩けば到達できるはずだが、このうだるような暑さは一体何だ。100メートルも歩かないうちに全身汗だらけになり、拭おうにもタオル1枚2枚ではとても追いつかない。国道3号線に出るまでの細道をクラクラしながら歩いていると、新幹線工事関係のダンプカーやトラックがひっきりなしに往来し、怖い。やっとの思いで国道に合流し、新水俣駅建設現場の前に出る。工事現場はもちろん信号場周辺でも工事関係者がたくさん働いていたので、邪魔にならないようにカメラを回した。帰りは「上初野」バス停から乗って水俣駅へ。噴き出ていた汗がバスの冷房で徐々にひいてくる。
次の西鹿児島行は423系の2連。わずかな客を乗せて発車する。米ノ津では交換列車の「つばめ12」の遅れのため6分遅発。出水では駅弁を買うつもりにしており、これでは停車時間が数分しかなくなるため大丈夫かなと思ったが、列車は1番線に入ってくれたので助かった。ところが売店に聞くと駅弁は「もう売り切れました」とのこと。仕方なくじゃこ入りカマボコとパンをかじることにした。出水でも新幹線ホームとおれんじ鉄道基地設置のための大改造が進んでいる。西出水で高校生がどっと乗り込み、急に賑やかになる。
折口を出て、
赤瀬川信号場前望撮影のため運転席後ろに立つ。423系は今回乗った車両の中で最悪のかぶりつき環境で、乗務員室のやや高い仕切りから貫通扉ガラスの運用表示板の下部を通して、やや望遠で寄せないと前望映像は撮れない。足を踏ん張ってなんとか良い位置を確保し、モニタ越しに信号場を眺める。信号場通過後、席に座るとたちまち眠気が襲う。阿久根、牛ノ浜あたりで記憶が遠のき、目が覚めると川内だった。ここも新幹線ホームと電留線が完成に近づきつつあるようだ。川内からは駅ごとに乗客があり、西鹿児島まで列車は始終満員だった。川内を境にこんなにも利用度が違うとは思っていなかった。肥薩おれんじ鉄道の前途には相当厳しいものが待ち受けているようだ。
久しぶりに1枚使い切った(1回目は信楽行きで使用) 西鹿児島から国分行に乗り継ぎ、国分からバスで鹿児島空港へ向かう。西鹿児島でリムジンバスに乗ると1,200円かかるが、国分からならたった390円。18きっぷの恩典を最後まで享受する。空港行バスは日当山付近で肥薩線をくぐってどんどん山へ分け入っていく。走るクルマの量は多いが、この先に空港があるとはとても信じられないような山道だ。突然、蜃気楼のようにターミナルビルと広大な駐車場が現れた。
伊丹行JAS656便は満員の客を乗せて離陸。延岡で見た「彗星」の寂しい姿がふと頭をよぎる。「なは」はどうだろうか…こんなことを心配しながら私自身飛行機に乗っているのだから世話はない。おそらく「なは」は新幹線開業とともに熊本打ち切りになるだろうし「彗星」もいつまで走るかわからない。そんなことを考えるうち飛行機ははや着陸態勢に入った。
伊丹に着き、あべの橋行リムジンバスに乗ろうと並んでいたら、渋滞のため所定30分のところ1時間以上かかる見込みという。満員バスの窮屈なシートにうずくまって58分かかってあべの橋に着いた。18きっぷ使い納めは天王寺からの阪和線だが、なんと日根野−長滝間の信号故障のため運転抑止中。和歌山行各停が運転再開するとのアナウンスを聞いて乗り込んだもののいっこうに発車せず「信号が変わり次第発車します」の一点張り。新今宮へ出て素直に南海で帰ろうかと思ったが、超満員の車内から脱出するだけでも大変だ。うんざりしていると20分遅れでやっと発車した。信号場巡りの帰途に信号故障に遭うなんて、日ごろ信号場をサカナにしているたたりかも知れない。
秘境でへろへろ、灼熱地獄でへろへろ、帰途のアクシデントでへろへろ…旅から帰っていつも思うが、そろそろ自分のトシを考えた行動をとらないと。後日、撮影した成果を見返していると、赤瀬川信号場の映像が撮れていなかったことに気づいてまたもやへろへろへろ…なんともすさまじいオチが付いていた。