揖 斐 線 1989



黒野駅ホームから新岐阜・忠節方を望む
かつての名鉄標準だった毛筆体の駅名標がシブい

廃止後は黒野駅レールパークとして整備されている




この当時、新岐阜・忠節方面からの列車はすべて黒野止まりで、本揖斐・谷汲方面へは乗り換えが必要だった
2・3番線は忠節方面への折り返し列車と谷汲線の共用で、谷汲線との乗り換えは便利だったが、本揖斐方面へは1番線に回らなければならなかった




岐阜市内線乗り入れのモ510形
急行運転は黒野ー忠節間のみで、忠節からの市内線は各停留所に停車
岐阜駅前行でも道路混雑により新岐阜で折り返すことが多かった



上のモ510と縦列に並ぶモ700形


終点本揖斐
ここから養老鉄道(当時は近鉄揖斐線)揖斐駅までは約3キロの道のり
今は駅舎も撤去され、鉄道を偲ばせるものは何もないとのこと



谷汲線と共通運用のモ759


モ759の運転台

(いずれも1989/9/26撮影)