岡山・広島 ぼらぼら旅
※「ぼらぼら」…目的があるようなないような、限りなく放浪に近いぶらぶら歩きのこと(cf. MBSラジオ「ごめんやす馬場章夫です」(笑)

日  程 2002年1月4〜5日

成果(?) 井原鉄道・岡山電気軌道の初乗り、ムーンライト山陽乗車、可部線訪問

き っ ぷ 青春18きっぷ2回分、ムーンライト山陽指定券


山陽にがんばる117系(福山)

2002年1月4日

早朝7時前に自宅を出て、新快速で姫路着、駅そばをすすったのち115系4連の岡山行乗車。快調に走っていたかと思いきや、三石で動かなくなった。三石−吉永間の踏切で先行の「いなば2」が、脱輪した軽自動車と衝突したため運転抑止中だという。20分ほどしてようやく動きだし、事故現場とみられる踏切にさしかかると、線路脇には見るも無惨な軽四の残骸。岡山へのラストスパートをかける「いなば2」が高速で駆け抜ける地点だけに、衝撃は相当大きかったようだ。岡山駅到着時に「いなば2」の編成を見たが、先頭部には無数のこすり傷があるものの大きな損傷はないようだった。


福山直通の井原鉄道車(福山)

この事故によって、吉備線で総社へ出て井原鉄道乗車という予定が崩れた。久しぶりの吉備線にはどうしても乗りたかったが、このまま吉備線を待ってもその後の接続がよくないため予定変更。快速「サンライナー」で福山へ向かうこととする。117系が相変わらず元気なところを見せており、久々に走りを堪能できた。

福山で駅弁を買い、やってきた単行の井原鉄道IRT355に乗り込む。日に3往復しかない福塩線乗り入れ列車に乗れたのだから予定変更してよかったかな?と自分を慰めつつ車内で弁当を広げる。

ワンマン対応の井原車とはいえ、福塩線内は車掌が乗務している。福山出発直前に、その車掌から総社までの乗車券を買う。

青春18所持なのでJR福塩線福山−神辺間はもちろん運賃不要だが、清音−総社間は井原鉄道がJRに線路使用料を支払って線路を共用している形(第2種運輸事業)なので、井原鉄道の車両に乗っている限りは井原鉄道に運賃を払わなければならない(左の車補の写真でも、経由線欄には「福塩線・神辺・井原鉄道線」とあるのみで、「伯備線」の文字はない)。

もっとも、清音でいったん下車してJRの改札口から入り直して伯備線列車に乗り換えるのなら井原鉄道のきっぷは清音まででよいが、このまま総社まで乗らないと完乗の意味がないように思えるし、だいいち乗り換えが邪魔くさかったので総社まで買った。


府中・井原方の出発信号機がものものしい(神辺)

いつものようにかぶりつきで前方を眺め、電車なみの加減速性能を味わいながら神辺に到着。ここでJR乗務員と、モスグリーンの制服の井原鉄道乗務員が入れ替わる。

ほぼ全線高架で線形もなめらかなので車窓に変化は乏しいが、走っていて気持ちよく、やはり新しい鉄道はいいなぁと思う。ただ、高架橋や掘割りのコンクリートの壁面がところどころ黒ずんでいたり苔むしたりしているのを見ると、国鉄再建による工事凍結等、開業までに苦難の歴史があったことを思い起こしてしまう。

それにしても、車窓より各駅の場内・出発信号の現示に目がいってしまうのは閉塞趣味者の性か(笑)。信号機の灯火も最新式のLEDだ。井原で運転士が交代、車掌が降り、ワンマンとなる。


清音−総社間で井原車同士すれ違い

井原あたりから車内には立ち客も出始め、単行とはいえこれだけ乗っていれば結構なことだと嬉しくなる。川辺宿を出て、高梁川をカーブしながら渡る長大鉄橋を下りればJR伯備線に合流して清音着。ここで、倉敷方面へ行く客がどっと降り、車内はがら空きとなる。

あまりに空きすぎてるなと思っていたら、この列車は清音で8分も停車し、その間に備中高梁行に道を譲るという。総社へは直通列車よりも乗り換えの方が速いという、逆転現象だ。しかし総社までのきっぷを持っている以上、かようなことでじたばたしない。正直言ってちょっと悔しいけれど…。


東山公園から

総社から吉備線に乗る。キハ47の2連。都市近郊路線の優等生のような線区で、いつもながら利用客が多く、繁盛している。

岡山に着いたら、未乗の岡山電気軌道に乗ろう。駅前−清輝橋−柳川−東山−駅前と全線完乗。女性運転士が思いのほか多いのに驚いた。近くLRV導入の予定とのことで、楽しみなことである。

当初予定ではこの後、マリンライナーで高松へうどんを食べに行くことになっていたが、往路の事故のしわよせが来てるし、夜行には京都から乗りたいし、その前に風呂屋にも行きたい…となって、結局取り止めにした。無理して高松へ渡ったところでゆっくりしている暇はないだろうし。

赤穂線経由で京都へいったん戻り、駅近くの銭湯で一浴。ピルの中にあり、番台と脱衣場が3階、男湯が4階にあるので、裸で階段を昇り降りしなければならない。変わった風呂屋だ。

西へと向かう夜行快速「ムーンライト」3兄弟がホームで発車を待っている。下関行「山陽」がシュプール14系ハザ4連(大ミハ)、「高知」が12系ロザ3連(四コチ)、「松山」が12系ロザ2連+14系ハザ1両(所不明)の堂々10連というラインナップで、夜汽車華やかなりし頃を思い出させてくれる。もっとも岡山と多度津でコマ切れにされるんだけど。

    

愛称板も入っていて、なかなかよい雰囲気。
「山陽」だけ安っぽくて、なんか「らしくない」なぁ…


ここから先はスタフ閉塞(加計)

1月5日

早暁529広島着。なんと営業していたコンコースの駅弁屋で朝食を仕入れて可部線に乗り、まだ暗い可部で加計行の一番列車に乗り換え。可部線可部以北は存廃問題が取り沙汰され、利用度を見極めるための試験増便中だが、早朝とはいえ悲しいほど乗客がいない。

夜行での寝不足もあって少しうつらうつらしていると、いつの間にか空が明るくなり、乗客数も多少増えたような感じがした。JRのロゴ入りの上着を着た社員が計数機でこまめに乗客数をカウントしている。

加計から先、三段峡までがスタフ閉塞の非自動区間。ただ今日は、時間の都合で三段峡へ行くことができず、加計でスタフの姿を拝んで引き返すことになっている。私の列車が加計に着いてすぐに三段峡からの列車も来るので、それを待つことにした。

可部へスルー運転する列車なら、加計で運転士から駅長へのスタフの受け渡しが見られるが、この列車は加計止まりのため受け渡しは見られなかった。かろうじてスタフのキャリア入りで撮れたのが左のカットのみで、何とも締まらないまま、可部行の折り返し列車の発車時刻が来た。私は満たされない気持ちでそれに乗り込むしかなかった。

復路の可部行はかなり乗車率がよく、立ち客も出た。計数機の音が速いペースでカチカチ鳴っているのを聞くと、胸に熱いものが込み上げてきた。


復 路
(以下は多少愚痴っぽい部分がありますが、よろしければお読み下さい)

広島に戻った後は、このまま帰るのも愛想がないので宮島へ渡ることにした。宮島口の売店で「あなごめし」を購入し、実に25年ぶりの宮島航路に乗り込む。JR船は厳島神社大鳥居沖を回ってくれるので楽しい。

再び広島から帰途をたどる。後はひたすら東へ進むだけで、ある程度行き当たりばったりでよいから、呉線を回ることにした。ただこれには重大な目的がひとつあって、それは「呉の駅弁」。

JR時刻表の呉駅には「弁」マークが付いているが、名称も価格も書かれていない(JTB時刻表には弁マークすらない)。5年前に呉を訪れた時、駅改札を出てすぐ右側のキオスクで売っているのを発見したものの、買おうかどうか思案中に目の前で売り切れてしまうという苦い経験がある。今回は下車してまっ先にキオスクをめざし、2種類の弁当のサンプルが店頭に出ているのを確認。ちょうど弁当を買っている人もいる。

「きのこ弁当ください」「すいません、さっきので売り切れです」…(~_~;; 「幕の内はありますか」「それもなくなりました。一度(製造元に)聞いてみます」と、丁寧にも電話をかけてくれたが、製造元も品切れ。私にとって呉の駅弁はまたもや「幻の駅弁」となってしまった。ちなみに種類は幕の内(700円)と、きのこ弁当(八角弁当)(800円)。サンプルを見た限りでは割とおいしそうだったので、どなたか食べたことのある方、感想をお聞かせください(笑泣)

次に乗る三原行は103系。まぁ駅弁買ってもロングシートでは食べにくいわな、と強引に自分を納得させ、運転席右後方の窓から前望を楽しむ…楽しむと言っても1時間半以上立ち続けなのでいい加減しんどい。三原では無念さと空腹感を晴らすべく、季節限定の「珍辧たこめし」を入手した。三原からはリニューアル115系4連の姫路行で、ゆったりと旅の最後を楽しめそうだ。なによりも、座れる保証の全くない岡山での乗り換えがないのが非常にありがたい。「たこめし」は糸崎付近で広げた。

予想どおり岡山で満員電車となり、淡々と走って無事に姫路着。姫路の駅そばスタンドを見かけるといつも反射的に手が出てしまうのはなぜだろうか、また食べてしまった(爆)。今度は新しくメニュー入りした「和そば」にしてみたが、私は従来の白い「えきそば」の方が好きです(^^)。おかげで新快速を1本やりすごしてしまった。

可部線が中途半端になってしまったのが心残りなので、可部線再訪を誓いつつ大阪に戻ってきた。とはいえ次回はいつの事になるかわからず、列車で三段峡に行くことができるのかどうか、いささか心配ではあるのだが。がんばれ、かべせん。

(注)可部線可部−三段峡間は2003/11/30をもって廃線となった。