日  程 2006年8月3〜6日

目  的 関東甲信越方面のトンネル名所巡り(と云っていいのかどうか(笑)

技術の粋を集めた近代的鉄道TX(守谷)

1日目(8/3〜4)
自宅−あべの橋BT−東京駅−秋葉原−つくば−守谷−下館−大宮−東飯能−西武秩父−熊谷ー伊勢崎ー高崎

 今回の旅行は何にターゲットを絞ったものか自分でもよくわからない。ただ最初は漠然と、信号場巡りの一環として北越急行のトンネル内信号場を見に行きたいというのがあって、それに何をひっつけるかを考えたら西武の正丸トンネル信号所、それからせっかくなので土合駅にも…となぜかトンネル関連ばかりが思い浮かんだので、それもまぁいいかと実行することにした。もちろんトンネルばかりでは気が滅入るので、つくばエクスプレス初乗りや久しぶりの大糸線訪問など、ちょっとは観光旅行らしい要素も組み入れた。…て、どこが観光旅行やねん。
 とりあえず、まずは東京へ向かわねばならない。大阪近郊から夜行で東京へ行くには、昔は「銀河」か「
ドリーム号」か大垣夜行ぐらいしか手段がなかったが、夜行バス全盛の今はわずか5,000円足らずで乗れる便が結構出ている。私は4,800円の東北急行バスにしたが、4列シートの窮屈さを我慢すれば不都合な点は何もなく、むしろ国鉄バス時代の「ドリーム号」より快適なくらいだ。
 


こちらは昔のままですが…(守谷)

 早暁の東京駅から秋葉原へ移動し、つくばエクスプレスのりばへ向かう。まだラッシュ前なので、駅構内はがらんとしていた。700発の快速に乗り込み、例によりかぶりつきに立つ。最初はしばらくトンネルなので、今回のトンネル巡りの旅にふさわしい幕開けと言えようか。北千住でいったん外へ出るがまた地下に潜り、八潮の手前でやっと車窓風景を楽しむことができるようになる。見通しのよい区間では速度が130キロくらいに達し、車窓も次第に田園風景に移り変わってきた。守谷の先に直・交デッドセクションがあり、運転士手元の表示灯が「直」から「交」に自動的に切り替わる。 
 つくば手前で再び地下に入り、TX
初乗りはめでたく終了。すぐに折り返して守谷へ向かい、関東鉄道常総線で下館へ出る段取りとなっている。以前、常総線に初乗りした時の守谷駅は古い平屋建ての駅舎だったはずだが、今はTX効果?で立派な駅ビルに生まれ変わっている。
 これから乗る下館行は数少ない快速で、もともと各停しかなかった常総線では画期的な速達列車である。この快速もいわば「TX効果」の産物であり、下館方面から東京都心への新ルートとして常総線快速・TX守谷乗り継ぎを大々的に売り込んでいて、割引きっぷも販売されている。ただ、守谷ー取手間の乗客はおそらく減っているだろうから、TX開業は関鉄にとって吉凶どちらに出ているのだろうか。
 

秩父への道は険し
 守谷を出た快速列車は南水海道信号所を通過。以前はここで全列車が停車していたが、乗務員交替がなくなったため原則通過になったとのこと。水海道以遠の単線区間で、この快速列車がどんな走りを見せてくれるか楽しみだ。
 前に常総線に乗った時は、単線区間では2灯式場内信号機を使用していたような記憶があり、快速運転を機に通過信号機を追加設置したのかなと思っていたら、場内信号機が真新しい3灯式に変わっており、場内進行現示により出発進行を担保し通過可能とする仕組みとなっていた。信号設備を改良してまで快速を走らせているのだから、これはもう何が何でもTX守谷乗り継ぎルートを成功させて元を取るしかないだろう。もう一つ言えば、昔ながらの両開きポイント配線がスピードアップの障害となっているが、線形改良までやると費用がかかり過ぎるからこれは仕方がない。
 下館から水戸線で小山、東北線で大宮、川越線川越乗り換えで東飯能へ。ここから西武秩父行の最前車両に乗車し、トンネル名所その1・正丸トンネル信号所を観察することとする。正丸トンネルを控える正丸駅でしばし停車し、西武秩父行特急「ちちぶ」に道を譲る。と、ほどなく今度は池袋行「ちちぶ」
がトンネルから姿を現す。この状況からして、上下特急同士が正丸トンネル信号所で交換していることは明らかだ。飯能から「ちちぶ」に乗ればよかったかなと思ったが、特急車両は前望できない構造のようなので、ここは普通列車でのかぶりつきが正解だろう。

当たれば旅費の足しになったのですが
 信号所を無事撮影して西武秩父着、秩父鉄道御花畑駅まで歩いて熊谷行に乗車。今日の最終目的地は高崎なので寄居から八高線という手もあったが、あいにく接続する列車がなかった。
 高崎に着き、今夜の宿でチェックインしたのち両毛線で伊勢崎へ向かう。今日はちょうど伊勢崎オートでナイターがある。オートレース空白地帯の大阪近郊に住んでいる私は、かねてから一度レース場に行ってみたいと思っていたので、それがひょんなきっかけで実現したわけだ。
 伊勢崎駅に降り立つと、昔ながらの駅舎と狭い駅前広場が何か懐かしいものを感じさせる。バスがないのでタクシーを飛ばしてレース場へ。場内は爆音が鳴り響いてさすがに迫力十分で、自動二輪どころか原付さえ怖くて乗れない私も大いに興奮し、堪能した。
 帰りは無料バスに乗せてもらい伊勢崎駅へ。駅前の小さな食堂の「やきそば」の文字につられるように店に入り、遅い夕食。大盛りやきそばを食べていると、私の住む近辺ではめったにお目にかかれない「ペヤングソースやきそば」のメーカーも伊勢崎だったことを思い出した。
 高崎に戻って宿のベッドに入るも、レースの爆音が耳についてなかなか寝付けなかった。明日は朝早いのに…。

ついに土合ブーム到来か!?

2日目(8/5・土)
高崎ー土合ー越後湯沢ー直江津ー糸魚川ー松本ー塩尻

 今日は土合駅訪問と北越急行信号場前望という、トンネル巡り紀行の真骨頂とも言えるプランを組んでいる。高崎から土合へ行くためには、通常なら水上で日に数本しかない普通列車をつかまえる必要があるが、私は早めに宿を出て熊谷発柿崎行の臨時快速「マリンブルーくじらなみ」に乗車した。この列車は海水浴臨ではあるがなんと土合に停まってくれる。国鉄色183系を使用しているのもポイントが高く、こういう列車には乗らなければ誠に申し訳ない気分になる。
 臨時列車だし熊谷始発なのでそんなに混んでいないだろうとタカをくくっていたら、前3両の指定席車はほぼ満席で、後3両の自由席車には立ち客までいる。幸い高崎で相当数の人が降りてくれたので、最後尾車両のそのまた最後部に1つだけ空席を見つけて座ることができた。
 水上を出て新清水トンネルに入るとすぐ、土合とともに並び称されるトンネル駅の湯檜曽を通過。こちらも下車してみたかったのだが、通過だとどうしようもない。
 いよいよ土合に到着するや、たくさんの人々が一斉に下車し、駅の構造を眺めたり写真を撮ったりしてもう大変な賑わいとなる。列車も5分程度停車し、殺風景なトンネル駅がその間だけ観光名所に変貌していた。


トンネル内でビデオ撮影している不審人物
 見ると、出口までの階段を上る人の多いこと。当然ながらほとんどが大きなリュックを背負った登山客で、海水浴臨のはずの「くじらなみ」は土合でかなり空席ができたようだ。
 「くじらなみ」のすぐ後に続行する普通列車を見送り、列車と下車客が去った後のホームを隅々までじっくり観察する。ホームの反対側に通過専用の本線がある変形1面2線ともいうべき配線となっているのには、今回下車して初めて気づいた。天井が高いので意外と圧迫感はないが、今ここで大地震が来たら生き埋めか、と思うと背筋が寒くなり、早く地上へ出たくなった。名物の長い階段を息を切らしながら上り、次の下り列車まで駅内探検をして時間をつぶす。
 再び下りホームへ降りて列車に乗り込み、越後湯沢へ。北越急行ほくほく線の直江津行が2両編成で待機していた。最前部のかぶりつきスペースは親子連れで混み合っているので前望写真は撮りにくいが、まぁ何とかなるだろう。六日町までノンストップで走り、ほくほく線に乗り入れて、まず最初の赤倉信号場を擁する赤倉トンネルに入る。前望ビデオカメラを構えるが、前面窓に車内灯が写り込み、フォーカスも前面窓に合ってしまう始末で、うまく撮影できなかった。これは後の2つの信号場も同じで、特に薬師峠信号場では「はくたか」を待避するシーンまであったのに、ピントがぼけたり乗客の顔や私の図体が写り込んだりで、いずれも今ひとつのできばえであった。 

直江津駅弁「越後の小昼」は押し寿司二段重ね
 直江津1203着。富山方面はわずか6分前に発車したばかりで、そのあとは1322発までないという非情なダイヤだ。時刻表を見ると、JR西と北越急行の普通列車同士は朝から晩までことごとく接続が悪く、一部を除いてどれも最低40分以上は待たされる。その接続待ちの間に駅弁を買って待合室で食べる。思えば、今朝乗った「マリンブルーくじらなみ」の終点・柿崎はここからわずか6駅のところにある。
 元・急行型475系電車に揺られて車窓を眺めていると、沿線の海水浴場はなかなか賑わっている。が、ほとんどはマイカー利用らしく、やはり「マリンブルーくじらなみ」など列車で来る人は少数派なのだろう。海水浴にも長いこと行ってないなぁ…などと思っているうち、これも名高いトンネル駅の筒石に到着する。本来ならここでも下車しないと「トンネル紀行」の看板が泣くわけだが、それをやると貴重な大糸線の列車を1本逃すことになるので泣きの涙で通過する。しかし、まさにトンネルという「石の筒」の中にある駅であり、土合よりも圧迫感は激しそうなので、またの機会にぜひ下車してみたい。
 糸魚川1403着。次に乗るべき大糸線は1504発で1時間以上空くが、筒石で途中下車すると糸魚川1529着となり、これまた25分の差で乗り継げない。JR西は対北越急行
だけでなく自社内の接続もよろしくないのはどういうことかと苦言を呈してみる。
 

意外とあちこちで生き延びているキハ52
 大糸線南小谷行はキハ52のしかもオリジナル塗色車が充てられていた。ワンマン対応のため便所が撤去されており、駅の時刻表には大糸線の列車にはトイレがない旨の注記がある。車内には乗車証明書と日付印が置いてあって自由にもらって帰れる。発車時には立ち客まで出る乗りっぷりで、さらに平岩では登山客がホーム上にてんこ盛りになっていて、単行の車中はラッシュ時間帯のようになる。中土だったか、交換設備が撤去された駅があり、時刻表を見ると現在糸魚川ー南小谷間では列車交換は根知でしか行われていない。
 南小谷と信濃大町で乗り換え、日の沈みつつある安曇野を眺めながら走っていると、松本に近づくにつれ車内の込み具合が激しくなり、豊科あたりですし詰めとなる。車内の会話に聞き耳を立ててみると、今日は松本市内で「ぼんぼん祭り」というのがあるらしい。毎年この時期に旅行していると必ずどこかで夏祭りと遭遇するが、牧歌的なイメージの大糸線でよりによって2回もラッシュの満員電車さながらの混雑に出会うとは思っていなかった。
 私の今夜の宿は塩尻にある。今乗っている列車は中央本線富士見まで直通するので、乗っていればそのまま塩尻まで行ける。松本では、工事中で狭くなっているホームを下車客が埋め尽くし、警備員が出て誘導しているような状態だったので、乗り換え不要なのはありがたかった。

どう見ても廃線跡だ(関)
3日目(8/6・日)
塩尻ー中津川ー名古屋ー亀山ー加茂ー天王寺

 今日はひたすら帰り道だ。どう帰るかはいくつかルートがあって、最初は飯田線経由でと思っていたのだが、いささか疲れが出ているし明日からまた仕事なので、中央西線経由で行くことにした。こちらの方が1時間半ほど早く帰宅できる。疲れを知らない若い頃は喜び勇んで飯田線の列車に乗り込んだのだろうが、厄年ともなるとどうしても体をいたわってしまうのが悲しい。
 中央西線はもう何回も乗っているので、窓外を見てもさして目新しい車窓風景ではないが、それでも一部に残る単線区間を走る時は心がときめく。私ってやっぱり単線フェチなのかしらん。
 名古屋で関西線に乗り換え。亀山は5番線まである広い構内が往時をしのばせるが、現在発着する列車は単行か長くて4両程度だろうから、昔ながらの立派なプラットホームを完全に持て余しているようだ。がらんとした駅構内から単行の鳥羽行が発車したのち、2連の加茂行が入線する。
 関西線非電化区間といえば中在家信号場だが、既報のとおり列車交換はなくなって久しいものの本線場内信号機は今なお生きており、運転時刻表にももちろん記載がある。スイッチバックの赤錆びた引き上げ線を横目に、何もなかったかのように列車はうなりを上げて通過していった。