駅売店で注文販売の新見駅弁

2日目(4/30・月)
新見−津山−智頭−鳥取−浜坂−大阪

ゆっくり寝たのが功を奏し、珍しく朝からシャキッとしている。今日は957発姫新線津山行でスタート。単行のキハ120は8人の客を乗せて新見を発った。
姫新線も急行の撤退や減便で交換駅の棒線化が顕著であり、新見ー津山間では富原・月田・院庄などに交換設備の遺構が見られるが、現在は13駅中5駅が交換可能で、
平均閉塞区間距離約12キロも列車本数に照らせばまずまず妥当かなと思う。
昨日の芸備線とはうって変わって、この列車には途中駅からどんどん乗客があり、立ち客も発生した。以前、駅に留置中のキハ120が下り坂を転がって行ったことがあったなぁと思いながら中国勝山を過ぎ、坪井で臨時延長運転の快速「ことぶき」と交換。余談だが「ことぶき」という漠然とした列車名は、津山線に縁起の良い駅名が多いことから公募で決まったものだそうだ。なるほど亀甲、誕生寺、神目、福渡、金川、玉柏などがそれに当たるのだろうが、それでもやっぱり漠然としてる(笑)


この列車も結構スローなのだ(津山)

今日は津山ー智頭間に「スローライフ列車」なるイベント列車が運転されるので、それを目当てにたくさんの人がホームでたむろしている。車庫にはその列車に使われる国鉄色キハ58の2連が待機していた。私ももちろん乗りたかったのだが、これに乗ってしまうと智頭以遠の乗り継ぎ連絡が極めて悪いので、泣きの涙で1本前を行く定期列車に乗り込んだのであった。またまたキハ120で、これで4列車連続。いい加減乗り飽きてきた。
「スローライフ列車」は賑わっているが、わが列車は20人程度の小所帯。負け惜しみっぽく聞こえるかも知れないけれど、せっかくなのでキハ58では味わえないかぶりつき前望を堪能することとしたい。
東津山構内東側の配線は因美線方が直進方向で、そこへ姫新線が間借りするような線形。昔は姫新線もまっすぐ構内に進入し、因美線との間にシザースクロスを噛ませた配線だったらしく、その跡も残っている。姫新線の急行がなくなったのを機に簡素化されたのであろう。今の因美線も鈍行ばかりだが、比較的最近まで「砂丘」が活躍していた面影がこの配線にも現れているような気がする。

東津山東側の構内配線
沿線のあちこちには「スローライフ列車」狙いのカメラの放列ができている。予行演習を兼ねてわが列車にシャッターを切る人も多く、その人たちのカメラには白シャツを着た私のかぶりつき姿が鮮明に刻み込まれていることだろう。
「スローライフ列車」が40分以上も停車する美作加茂駅前ではテントが張られ歓迎イベントの準備が整っている。美作河井では長年放置されていた転車台が掘り起こされ、駅舎では写真ギャラリーとこちらも食指をそそるイベントが用意されている。が、悲しいことに私は先を進まなければならないのであった。
ひっそりとした智頭駅に到着。一連のスローライフ関連イベントは「岡山ディスティネーションキャンペーン」の一環なので、鳥取県にあるこの駅では無関係ということらしい。タブレット閉塞時代の腕木式信号機のてこ小屋はコンクリートで埋められ、除雪機らしきものの置場となっていた。

信号てこが並んでいた場所は物置に(智頭)
次の折り返し鳥取行は智頭急行車。間合いでJR線内のみの運用にも充てられているようだ。因美線智頭以北部は特急が頻発して以南部とは比べられないほど華やかだが、いまだにレールは細いし線形も曲線だらけと、華やかさに比べやや荷が重いような気もする。鳥取に着くと若桜鉄道車が発車を待っていた。鳥取ー郡家間は3社の車両が入り乱れて走る希有な区間でもある。
いったん外へ出るため係員に「途中下車です」と告げてきっぷを示すと、右肩の所に
小判型の途中下車印を捺してくれた。私には途中下車印を集める趣味は特にないが、新幹線自動改札の入出場記録の印字よりはずっと味があり、ちょっとうれしい。
次の浜坂行は珍しやキハ33を頭とする2連だった。この区間デフォルトのキハ47では困難なかぶりつき前望がこれなら可能だ。滝山信号場を前望で見たいと思っていたので、私は宝くじにでも当たったかのように小躍りしながら乗り込んだ(他人が見たらアホやな、このおっさん(汗)。

50系客車改造の珍車キハ33
鳥取を出てしばらくすると、閉塞信号機に引き続いて滝山信号場の場内信号機、そしてスイッチバック配線がその偉容?を現した。引上線は上下方ともに草刈りされているのか、前に来た時のように荒れ放題ということはなかったが、やはり列車交換はないのでレールは錆びている。もちろん信号場としては生きていてホッとしたのだけれど、常紋といい中在家といい、スイッチバック信号場はどこも蛇の生殺しみたいな状態で存置(放置)されているのが甚だ不思議でならない。
浜坂からは特急「はまかぜ6」でゆる〜く帰途につこうと思う。国内唯一のキハ181系特急運用だが、芸備線の「みよし」も唯一のキハ58系急行だったし、JR西日本って何故こんなに物持ちがいいのかしらん(笑)
駅を出て左手のコンビニに入ってみると、なくなったはずの浜坂駅弁「かに寿し」が復刻販売されていた。このコンビニは「かに寿し」調製元の経営らしく、これ以外にも弁当数点と、なぜかセルフサービスのカレーライスが置いてあった。私は鳥取で駅弁を既に購入済みだったので飲み物だけ買って駅に戻った。

国鉄時代そのままの「パタパタ」(浜坂)
窓口で大阪までの自由席特急券を求める。今日は青春18ではなくレッキとした普通乗車券所持なので、こういう時こそ普段あまり乗る機会のない特急列車に乗るチャンスである。とともに、しんどいから楽して帰りたいというのももちろんアリなわけである(笑) 
「はまかぜ6」はもともと香住始発で多客期のみ浜坂発となる。いつもより3両増結の7両編成はキハ181系最盛期の勇姿を思い出させてくれるに充分だ。禁煙自由席は2割程度の乗車率で浜坂を発車。餘部鉄橋にさしかかると、車内の非鉄な人々も窓に向けて一斉にカメラを構える。
城崎温泉から先は「北近畿」の直後を走るためか駅ごとの乗車客はあまり多くない。それでも和田山を出る頃には自由席は8割くらいの乗車率となり、姫路や神戸市内までの利用が結構多いことを窺わせる。もちろん私のように浜坂方面から大阪まで乗り通す客も相当数いるわけだが。

堂々たる7両編成の「はまかぜ」
姫路では自由席の3分の1ぐらいが降りる。ここから先は新快速の間隙を縫って走らなければならない、ご老体気動車には過酷な区間だ。なにせ自分の7分後に姫路を出る続行の新快速に、大阪では2分差にまで詰め寄られるのだ。
複々線区間に入るとエンジンはいっそう高いうなりを上げ、必死で新快速から逃げ切ろうとする姿がとても痛ましい。「新快速より遅いのなら特急料金返せ」と言う人もいるだろうが、これはもはやゼニカネの問題ではない。この懸命な走りっぷりには感動さえ覚える。
「はまかぜ」との4時間半余りもいつしか終わりを告げ、私は大阪駅の喧噪の中に降り立った。たった2日間の短い旅だったが、それでもちょっとした大旅行帰りのような疲労を感じたのは、久しぶりの汽車旅だったからなのか、あるいは単に私がトシを食ったせいだったのだろうか。
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